この一年あまり、公私ともに様々なことが起こりました。私は自分が受け止めれる許容量をどうもいつも過大評価してしまう傾向があるようで、ずっと意識的に「無理をしないこと」を心がけては来たのですが、そもそも、問題の方は私の都合と関係なくやってくるこの方が多いわけで、無理したくなくてもせざるを得ないような状況に置かれてしまうこともしばしばです。現在進行形で解決の見通しがはっきりしない問題を複数抱えていると、平常心を保つのはなかなか大変です。自分にできることをして、あとは、流れに任せるしかないのですけど、同じ流れに任せるにしても、注意一秒ケガ一生、で重要なポイントには注意を払っておく必要があります。
私の場合は「大丈夫の法則」に基づき、必要なものは必ず「ユニバース」によって与えられることになっているので、ま、何があっても大丈夫なのですけど、私に必要なものは必ずしも私が欲しいものであるとは限らないし、それにいくら大丈夫であることはわかってはいても、人間ですからつい起こる前から起こった時のことをあれこれ心配するというのはなかなか避けられないわけで、それで「不安」感じることになります。この不安という感情は放っておくと雪だるま式に大きくなりますから、不安に気づいた段階で、その不安の根拠をしっかりと確認し、対処をした上で、意識的に「不安に思うのを止める」という決断をする必要があります。不安が自分に知らせようとしているメッセージをしっかりと受け取れば不安の方も役目は終わるはずですから。
しかし、「不安に感じている自分」を理性的に確認するというのは、言うは簡単ですけど実際には難しいものです。ピアノで両手で違う拍子のメロディーを引くような感じですね。まだまだ満足ではないですが、この数年、不安を意識する努力は多少してきたので、最近は、立ち止まるべき時には立ち止まって不安の声を聞くということができるようにはなってきたような気がします。それで問題も大事には余りならずに済んでいるように感じます。それでも人間ですから不安はしばしばコントロールできなくなります。その都度、その不安を客観的に見極める練習を積んで耐性をつけていくしかありません。
来週の学会で発表のある二人が、不安症状を発症しています。一人は、演題が授賞演題に選ばれた時は喜んでいたのに、発表練習で色々言われた後、いまや、まるで裁判所に引きずり出される被告人であるかのように感じているようです。この不安は自信のなさの現われであり、もうちょっと準備をした方がよい、というメッセージにすぎないのですが、彼女は、それを通りこして、今回の発表によって自分は断罪され、有罪になれば研究者人生が終わるのだ、とでも言わんばかりの様子で、演題を出したことを後悔しているとまで言うので、ちょっと重症です。私も何かとフォローはしましたが、結局、本人の不安というのは、自分自身で気づいて見極めて対処しないと消えないもので、私には何もできないのです。それで、結果、論文のリバイス実験の相談とか、学会などよりももっと重要な話ができなくて困っております。感情の問題というのは難しいものです。
というわけで、来週中頃までおりませんので、次回、更新はしない予定です。
私の場合は「大丈夫の法則」に基づき、必要なものは必ず「ユニバース」によって与えられることになっているので、ま、何があっても大丈夫なのですけど、私に必要なものは必ずしも私が欲しいものであるとは限らないし、それにいくら大丈夫であることはわかってはいても、人間ですからつい起こる前から起こった時のことをあれこれ心配するというのはなかなか避けられないわけで、それで「不安」感じることになります。この不安という感情は放っておくと雪だるま式に大きくなりますから、不安に気づいた段階で、その不安の根拠をしっかりと確認し、対処をした上で、意識的に「不安に思うのを止める」という決断をする必要があります。不安が自分に知らせようとしているメッセージをしっかりと受け取れば不安の方も役目は終わるはずですから。
しかし、「不安に感じている自分」を理性的に確認するというのは、言うは簡単ですけど実際には難しいものです。ピアノで両手で違う拍子のメロディーを引くような感じですね。まだまだ満足ではないですが、この数年、不安を意識する努力は多少してきたので、最近は、立ち止まるべき時には立ち止まって不安の声を聞くということができるようにはなってきたような気がします。それで問題も大事には余りならずに済んでいるように感じます。それでも人間ですから不安はしばしばコントロールできなくなります。その都度、その不安を客観的に見極める練習を積んで耐性をつけていくしかありません。
来週の学会で発表のある二人が、不安症状を発症しています。一人は、演題が授賞演題に選ばれた時は喜んでいたのに、発表練習で色々言われた後、いまや、まるで裁判所に引きずり出される被告人であるかのように感じているようです。この不安は自信のなさの現われであり、もうちょっと準備をした方がよい、というメッセージにすぎないのですが、彼女は、それを通りこして、今回の発表によって自分は断罪され、有罪になれば研究者人生が終わるのだ、とでも言わんばかりの様子で、演題を出したことを後悔しているとまで言うので、ちょっと重症です。私も何かとフォローはしましたが、結局、本人の不安というのは、自分自身で気づいて見極めて対処しないと消えないもので、私には何もできないのです。それで、結果、論文のリバイス実験の相談とか、学会などよりももっと重要な話ができなくて困っております。感情の問題というのは難しいものです。
というわけで、来週中頃までおりませんので、次回、更新はしない予定です。
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