百醜千拙草

何とかやっています

日米の科学政策における見識の差

2009-05-01 | Weblog
4月27日にオバマがアメリカ科学アカデミーでスピーチをしました。 1921年、相対性理論で既に有名であったアインシュタインが、初めてアメリカでの学会に来たとき、皆のスピーチが余りに長かったので、「『永遠』についての新しい理論を思いついた」と言った、という冗談からオバマのスピーチが始まりました。 続いて、リンカーンがアメリカの隆盛を望んで、科学アカデミー創設をしたことに触れ、今日の困難な時期での科学研究活動は贅沢である、という考えに反対すると述べ、科学がこの国の繁栄、安全、健康、環境について、今日ほど重要である時はない、と続けました。 過去四半世紀の間に物理科学への資金率は半減し、学力が低下してきている現状に触れて、その回復に向けて、基礎科学および応用技術研究を真摯に支援すること、そして、フランクリンルーズベルトの科学アドバイザーであったVannevar Bushの言葉を引いて、「基礎科学研究は科学の資本である」と述べました。基礎科学研究から、どのような応用技術が生まれるかは、誰も分からないが、歴史をみてみると、太陽電池を作ったのは光電気の基礎研究であったし、CATスキャンを作ったのも基礎物理研究であったし、GPSサテライトの計算はアインシュタインが1世紀も前に書き付けた方程式に基づいている、と例をあげ、基礎科学研究への投資の重要性を強調しました。
 もちろん、このこのオバマの演説の骨子は、科学アドバイザーの意見に基づいているのだと思いますが、基礎研究が重要であるとする現政権の科学政策は、これまでのトランスレーショナル研究重視、応用研究重視に対しての反省を組み入れたものとなっていると思います。
  対して、日本はどうかというと、国の科学研究へのアプローチは、金を集中投下すれば何かでるだろう、というレベルのドンブリ政策で、科学の進歩がどのようになされてきたかかという歴史的認識が欠けているのではないかと私は思います。それを象徴するかのような某バイオテクノロジー雑誌記者のピントはずれのこの意見。

 文部科学省は日本学術審議会に3000億円の資金を拠出、基金を今回の補正予算で創設いたします。この内、2700億円で1テーマ、5年間で平均総額90億円の科学研究を30件支援します。これくらいの金額があれば、わが国でも世界をリードする科学研究のメッカを作れます。但し、従来の大型プロジェクトのように、皆で分けて小分けに資金を投入するのでは、無駄遣いに終わることは明白です。

  一人の天才に90億円委ねるべきです。

 但し、天才といっても条件があります。健全な常識を持ち、チームをマネージメ ントできることです。しかも、明確な次の科学技術に関するビジョンを持つていることも必須条件です。しかも、5年間、嫉妬の渦にも平然とプロジェクトを進める鉄の意志も必要です。

この方には、これまでの科学のブレークスルーが天才にお金を集めて達成された実例というものをまず検討してから、意見を述べてもらいたいものです。私はただの一例も思い浮かびません。それに科学研究での「天才」とは、どんな人間なのか、分かっているのでしょうか?研究での天才など凡人と紙一重の差もありません。仮に本当に天才などというものがいたとしても、それが簡単にわかるのなら誰も苦労しないし、最初から研究費申請などの審査など必要ないでしょう。何のために科学研究のdiversityが維持される必要があるかという根本的な理解が欠けているように思います。正直、オバマの科学アドバイザーとの見識との差にがっくりきます。
 と、ここまで書いた所で、柳田先生がこの研究資金について書いているのを読みました。

 わたくしは、研究投資や研究費分配における「重点」ということばが、研究にとっての非常にわるい環境作りを助長してきたとおもっています。わたくしの研究などはその恩恵を受けたような面があることは事実ですが、単に激しい研究費獲得の生存競争で生きぬいてきた。その時の、選択が重点かそうでないか、ということだったのです。荒廃するのは当然でしょうか。 いま3000億円とか言うお金がまたまた超重点的に研究費として正規予算で配られるようですが、どうでしょうか。栄養の集中的やり過ぎは、樹木を枯れさせるのにたいへん役立つし、その周辺で放置された他の樹木は立ち枯れて行くのかもしれません。 若者たちも、重点研究領域に吸い寄せられて、そこで過剰栄養になるので、そこが重点を終わっても、どこにいっても通用しない心身になってしまうのかもしれません。  教育では最近、ゆとりというのが目の敵にされてていますが、研究面では「重点」という言葉で、たくさんのかけがえのない研究分野が死滅に向かっているような気がします。

まさにその通りだと思います。研究においては、天才だから発見できるのではなく、発見できたから天才であると、後になってから周囲がラベルを貼るのです。そういうすでに「当てた人」に重点的に金を回して、その他の次の大発見を当てようと努力している「これから当てるかも知れない人」をおろそかにするならば、大発見が生まれるチャンスをわざわざ潰すようなものです。

現在アメリカではNIHの年間予算の1/3にあたる巨額の資金が、経済刺激の一環として、医学生物学研究に投入されようとしています。この是非はともかく、その資金は集中投下されるのではなく、各NIH機関を通じて、研究界に広くバラまかれます。NIHは以前から、一点集中ではなく、小口の研究者主導の研究を多く支援する方が、圧倒的に効果的であることを知っているのです。

 最後にオバマのスピーチの最後に引用された、ケネディーの言葉を書き留めておきます。ケネディーの演説に見られるオプティミズムと力強さは、かつて世界をリードしてきた古き良きアメリカを思い出させます。ケネディーは45年前の科学アカデミーでのスピーチでこう言いました。
「困難は、つまり、私たちの救済であるかも知れません」
困難があるからこそ、人は努力し、進歩します。
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