百醜千拙草

何とかやっています

お金の問題

2007-04-27 | お金
クリントン政権時に倍増したアメリカNIHの研究予算がブッシュ政権に変わってから横ばいとなり、研究コミュニティーに非常な不安感をかき立てるようになってから数年になります。予算が潤沢であった時期に拡張したアカデミックプログラムは維持が困難になり縮小もしくは廃止していかざるを得ない状況に追い込まれてきています。個々の研究者を見てみれば、殆どのprimary investigatorの研究並びに職そのものが、NIHの競争的資金を獲得できるかできないかにかかっている訳で、現在だいたいトップ15%の枠に入れるか入れないかで人生大きく変わってしまうわけです。悪い事に競争的と言っても、本質的に多様な研究計画の評価を公平に行えるような基準があるはずもなく、どうしてもスコアのつけ方に恣意性が入ります。にもかかわらず、ペイラインは非常にはっきりしているので、1パーセンタイルでもペイラインからはずれると何ももらえません。こんなことを書いているのも、今朝、某有名科学雑誌のフロントページを読んでいて、個人的に知っている人が、NIH資金をぎりぎりで獲得できず今月で長年すごした研究所を離れざるを得なくなったということを知ったからです。彼は問題の多い動物施設の利用状況の改善を図るべく、利用者のグループのオーガナイザーとして定期的にミーティングを開いていたのでしたが、最近ミーティングのお知らせが回ってこないなと思っていたところでした。長期的な目で見れば、能力があり成果を出せる人が最後は残るのですが、現在のこの不安定な研究環境では、一時的な不運がちょっと重なっただけで、能力にかかわらず研究を断念しないといけない状況に追い込まれてしまいます。一人前の研究者を育てるには何十年とかかるのに、一時的なピンチを救済できる経済的体力が衰えてしまったためにそうした貴重な人材を永久に失う可能性が高まってきています。一旦失われるとそれを補充するのにはまた何年もの時間が必要となります。日本は医師不足らしいですが、十年前は医師過剰時代で医学部の定員がどんどん減らされていっていました。十年前の医療費支払い基金の経済的なバランスだけで政策が決まってしまい、十年後、二十年後を考えていなかったということでしょう。再び必要数の医師を確保しようとしても医学部レベルから始めていては遅すぎます。医師を教育し使い物になるようにするまでには十年近くかかるのです。アメリカのように専門職職員を外国から輸入するのがもっとも対応が早いわけですが、アメリカと違って喜んで日本に来てくれる外国人はそう多くはないでしょう。
 アカデミックラダーを上り始めると永久職につけるまでに2,3回の評価関門があって、生産性のない研究者はそこで除かれます。しかし各大学で行われるこういった評価はだめな人を除くためのもので、良い人を選択するためのものではありません。大学もできればせっかく採用して投資した人材ですから成功してもらいたいと思っているのです。しかし研究費を供給する主に政府機関は、すべての研究者をサポートできるだけのお金がないので、そこでは優秀と考えられる研究のみしかサポートできません。そして研究計画を査定する側はその研究計画の価値を常に十分理解できるわけでもないので、優れた研究計画なのに認められない不運なものが出てきます。そうした不運がその研究者のキャリアにクリティカルな場面で現れたのが、上の例だったのだと思います。
 皆、危機感はあるのですが、何といってもお金の問題なのでお金をどうにかしない以上、何の解決策もありません。仮にブッシュが無駄づかいを止めても、NIHの体力が健全なレベルに回復するまでにはしばらくかかるでしょう。じっと耐えるしかありません。
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