先日の柳田充弘先生のブログ (http://mitsuhiro.exblog.jp/)で 、京大の染色体の研究室を閉鎖することになったという話がありました。定年は過ぎていますし、沖縄には別の研究をする研究室があるので、もうそろそろ引退したらどうだ、というのが日本人の考え方かも知れませんけど、この話の顛末を読んで、私は暗い気分になりました。細胞周期、染色体分配の分子学的、遺伝子学的機構に関する非常に多くの貴重な知見がこの柳田研から発信され、文字通り、世界を牽引してきたわけです。世界に非常に尊敬されている数少ない日本人研究者であると言えます。そして多くの日本の教授と違って、定年を過ぎて一研究者の身分となってもその生産性が落ちてきたわけではありません。まだまだ世界の第一線に立っている人です。ブログを読むと、どうも研究資金申請の審査員の一人が、定年を過ぎて京大にも沖縄にも研究室を持っているのが「犯罪的」と考えているらしく、研究申請書もろくろく読まずに却下した、それで京大の研究室の資金が停止するということのようです。
私は、この何十年も第一線に立ってこの分野へ多大なる貢献をしてきた数少ない日本人研究者に対し、年齢や複数の研究室を持っているという(サイエンスの中身以外の)理由で、生産的な研究室を閉鎖する方がよっぽど「犯罪的」であると思います。
アメリカでは、生産的な研究者が複数のグラントを持つことは当たり前のことです。現在の厳しい研究環境において、一本のグラントさえとることができずに研究者を廃業していかねばならない人々が多い現状で、一人が何本もグラントを持っていることを問題視することがないわけではありません(11本のNIHグラントを持つ人の話が紹介されていたのを読んだ事がありますが、さすがにその時は反感を持ちました。一人で11ものプロジェクトを遂行できるわけがありません)。しかし、良い研究をする人に資金が使われるべきだ(また良い研究ができなくなったらどんなにエラい人でも資金は与えられるべきではない)という原則を多くの研究者が支持しています。だから、定年を過ぎているとか、研究室を複数運営しているとか、という研究の中身と関係のない理由で、優れた研究室を閉鎖に追い込むというのは、(少なくともアメリカでは)言語道断です。
先日、偶然に知り合いのアメリカ人教授に会った時、つい最近、研究室を閉鎖したという話を聞かされました。たぶん80歳に近いと思います。私の研究分野では知っている中で二番目に高齢の現役研究者でした。有能なポスドクがしばらく前に研究室を去って、研究の遂行が困難になってきたこと、健康上の不安もあって、遂に引退を決意したそうです。しかし、NIHはつい最近まで、彼に資金援助をしてきたのです。実際、この数年でもかなり質の高い論文を出しています。実力があって、意義のある科学プロジェクトで、研究者にプロジェクトを遂行する力があると判断すればNIHは金を出します。その審査の基準は基本的にその一点につきます。
それに比べると、研究室を複数もっているから犯罪的だ、とか定年を過ぎても研究者をやっているのが許せないとか、そういう二次的なことにこだわる日本の体質というは、大局観に欠けるというか、根性が卑しいというか、なんと言いますか。そういうバカなことを言っているから日本から有能な研究者は逃げ出し、若手はやる気をなくすのでしょう。この「出る杭を打つ」態度が、日本の国を硬直した発展性のない場所にしているのだと私は思います。
翌日の柳田先生のブログでも柳田先生はかなりフラストレーションというか怒りを示されていましたが、まさに、このような不公平な審査、(審査員の権力で他人の研究をコントロールしようとするわけですから、国策審査とでも呼びますかね)が、日本の科学の発展、ひいては社会の発展を阻害し、官僚主義を跋扈させ、若者の希望の芽を摘んでいるのだと思います。
とりわけ、その「出る杭を打つ」モグラ叩き根性が、顕然しているのがマスコミです。その態度で日本亡国に導いていることに意識的であるとはとても思えません。短命に終わった鳩山政権を見ていると思います。マスコミには日本の最も恥ずべき気質が澱というかマグマのように溜まっていて、そのネガティブエネルギーが、日本のやる気を吸い取っていく、そんな気がします。新聞は取らない、テレビは見ない(ラジオはOKです、マスコミとは言えませんから)、そうして自衛しないと、日本人は知らない間にバカにされてしまい、皆で赤信号を一緒にわたっている間に大型トレーラーにひかれて、全員一緒に地獄行きです。
私は、この何十年も第一線に立ってこの分野へ多大なる貢献をしてきた数少ない日本人研究者に対し、年齢や複数の研究室を持っているという(サイエンスの中身以外の)理由で、生産的な研究室を閉鎖する方がよっぽど「犯罪的」であると思います。
アメリカでは、生産的な研究者が複数のグラントを持つことは当たり前のことです。現在の厳しい研究環境において、一本のグラントさえとることができずに研究者を廃業していかねばならない人々が多い現状で、一人が何本もグラントを持っていることを問題視することがないわけではありません(11本のNIHグラントを持つ人の話が紹介されていたのを読んだ事がありますが、さすがにその時は反感を持ちました。一人で11ものプロジェクトを遂行できるわけがありません)。しかし、良い研究をする人に資金が使われるべきだ(また良い研究ができなくなったらどんなにエラい人でも資金は与えられるべきではない)という原則を多くの研究者が支持しています。だから、定年を過ぎているとか、研究室を複数運営しているとか、という研究の中身と関係のない理由で、優れた研究室を閉鎖に追い込むというのは、(少なくともアメリカでは)言語道断です。
先日、偶然に知り合いのアメリカ人教授に会った時、つい最近、研究室を閉鎖したという話を聞かされました。たぶん80歳に近いと思います。私の研究分野では知っている中で二番目に高齢の現役研究者でした。有能なポスドクがしばらく前に研究室を去って、研究の遂行が困難になってきたこと、健康上の不安もあって、遂に引退を決意したそうです。しかし、NIHはつい最近まで、彼に資金援助をしてきたのです。実際、この数年でもかなり質の高い論文を出しています。実力があって、意義のある科学プロジェクトで、研究者にプロジェクトを遂行する力があると判断すればNIHは金を出します。その審査の基準は基本的にその一点につきます。
それに比べると、研究室を複数もっているから犯罪的だ、とか定年を過ぎても研究者をやっているのが許せないとか、そういう二次的なことにこだわる日本の体質というは、大局観に欠けるというか、根性が卑しいというか、なんと言いますか。そういうバカなことを言っているから日本から有能な研究者は逃げ出し、若手はやる気をなくすのでしょう。この「出る杭を打つ」態度が、日本の国を硬直した発展性のない場所にしているのだと私は思います。
翌日の柳田先生のブログでも柳田先生はかなりフラストレーションというか怒りを示されていましたが、まさに、このような不公平な審査、(審査員の権力で他人の研究をコントロールしようとするわけですから、国策審査とでも呼びますかね)が、日本の科学の発展、ひいては社会の発展を阻害し、官僚主義を跋扈させ、若者の希望の芽を摘んでいるのだと思います。
とりわけ、その「出る杭を打つ」モグラ叩き根性が、顕然しているのがマスコミです。その態度で日本亡国に導いていることに意識的であるとはとても思えません。短命に終わった鳩山政権を見ていると思います。マスコミには日本の最も恥ずべき気質が澱というかマグマのように溜まっていて、そのネガティブエネルギーが、日本のやる気を吸い取っていく、そんな気がします。新聞は取らない、テレビは見ない(ラジオはOKです、マスコミとは言えませんから)、そうして自衛しないと、日本人は知らない間にバカにされてしまい、皆で赤信号を一緒にわたっている間に大型トレーラーにひかれて、全員一緒に地獄行きです。