前回、研究と研究を支援する金の配分について書きました。研究に限らず、殆どの人間の活動には金が要ります。多くの人は金を得るために働きます。そして得た金でものやサービスを買うわけで、経済活動というものは、人間が社会で生きていく上で不可欠のものです。そして、事業、プロジェクト、研究、社会活動、どれ一つとって見ても、金なしには動きません。
政治活動もそうです。何らかの動機で日本の国なり地域を良くしたい、そのために政治に関りたいと思ったらどうするでしょうか。有権者の人に自分の実現したい理想を聞いてもらって、賛同者を得、選挙で代表に選んでもらわねばなりません。有権者の人に自分の志しを知ってもらうのに、ドブ板はもちろんでしょうけど、キャンペーンの冊子やポスターをつくったり、それを配布したりするためのスタッフをやとったり、ミーティングを開く会場を確保したりするのに、金なしではできません。政治活動に金がいるのは当たり前で、そのキャンペーンの有効性は集めた金の額できまります。アメリカでのオバマとクリントンが良い例です。どれだけ多く金が集めれるかが政治家の力を決めます。政治は人数で決まり、人は金で動きます。
ところが日本では、マスコミが政治家を叩く時に、決まったように、「政治と金」と錦旗をかざすかのように言います。それを見聞きするたびに、私はマスコミの装ったバカさかげんに反吐がでそうになります。「政治と金」の問題というのは、具体的にどのような問題なのか、そこの説明がありません。マスコミはわざと説明しないのです。この意味不明の言葉が、特定の政治家の攻撃に都合がよいからです。人が金で動く以上、金は政治の最も重要なツールでありかつ目的です。金は政治のアルファでありオメガであると言っても過言ではないでしょう。なのに、この「政治と金」というコンテクストでは、「金」は良くない金であり、それに関する政治は悪い、という含意があります。金は世の中を回すために必要なツールなのですから、金そのものに色がついているわけではありません。同様に政治そのものに良いも悪いもないのです。この「政治と金」という言い方には、本当は問題があるかどうかもよくわからないけど、「政治」と「金」という言葉を繋ぎ合わせると、なぜか怪しげな雰囲気が醸されるので、政治家の悪口を書くのに都合が良い、という論理的分析能力欠乏し無批判で思考停止したパブロフ犬的マスコミの悪意ある怠慢さとでもいうようなものを感ぜずにはおれません。
前政権での鳩山氏と小沢氏の「政治と金」の問題をとりあげてみましょう。鳩山氏は一般の献金が集まらないので、お母さんからお金を貰って自分の政治活動に使い、その金の出所を違えて報告した、ということでした。このどこに「政治と金」と眉をつり上げるような問題があるのでしょう。活動費が足りないから裕福な親に助けてもらったということで、申告上の問題があったのかも知れませんけど、ワイロとか汚職とかという話とはほど遠い、慎ましい話です。お金は親からのものでしかもそれに対して払う必要のない税金まで払ったということですから、鳩山氏もこの件でマスコミや検察や税務署に政治妨害を受けるのが余程、嫌だったのでしょう。小沢氏に至っては、小沢氏と秘書が主張してきたように、自分の政治団体の金で土地を現金で買った、というだけのことでした。検察が描いていた絵での建設会社からのワイロの可能性に至っては、さんざん強制捜査を入れた挙げ句に何の証拠も見つけることはできず、二度にわたって不起訴となり無罪が証明されたワケです。秘書の人は、報告書類の記載方法が誤っているという理由だけで起訴されました。しかも、その記載方法は法的には多分、何の問題もなかった可能性が高いのです。
これらの話のどこに何の問題があると考えて、マスコミは「政治と金」の問題と言っているのでしょうか。そんなことよりも、自民党政権時代、多くの政治評論家が官房機密費という税金がソースの金から付け届けを貰って、自民党の宣伝を公共の電波を使って行った、という「マスコミと金」の方がよっぽど悪質でしょう。マスコミは、自分には耳の痛い問題は全くとりあげないくせに、自分たちに都合の悪い人間を(無批判に)批判して、社会に害をまき散らし、臆面もなく善人面をするのです。盗人猛々しいというか、片腹痛いというか。
日本はアメリカに植民地にされて過去65年間、巨額の金額を貢いできました。経済低調で最大の借金国である日本の将来を改善するには、理不尽にアメリカに押し売りされる米国債の購入を止め、基地を口実に巻き上げられている思いやり何とかという巨額の上納金を減らし、アメリカの基地を縮小していくことが大切だと思います。それをやろうとした前政権を、マスコミ、検察、野党がよってたかって潰してしまいました。理由は「政治と金」、それから戦後自民党はやろうとさえしなかった沖縄の基地問題の改善を試みたからだそうです。良い国にしようと頑張っている政権を同国の人間が、そんな、くだらないことをグダグダ言って潰すのを見ていると、本当に、「アホウにつける薬はない」と感ぜずにはおれません。結局、新しい民主党党首は「沖縄基地問題はどうにもならない(オレは基地のことは知らない)」「国民の生活よりも財源確保のために消費税は10%」と自民党と同じになってしまいました。折角の政権交代をマスコミがぶっ潰して、結局、国民よりも官僚とアメリカの利益を尊ぶ自民党政策に逆戻りしつつあります。
また「政治はクリーンでないといかん」というようなことを言う人が大勢います。順番を間違えて欲しくないと思います。それは、政治家がちゃんとするべきことをまずやってからの話です。やるべき仕事もできないくせに、クリーンだけが取り柄みたいな政治家は、いない方がましです。(別に、三木前首相のことを言っているわけではありません)誰が言ったのか忘れましたが、「白猫であろうが黒猫であろうが、ネズミを捕る猫が良い猫なのだ」という言葉を聞いたことがあります。前政権は、ネズミを捕ろうとしました。すると、マスコミや野党が猫は白くないといかんと言いがかりをつけ、ネズミを捕る邪魔をして猫の方を追い出してしまったという情けない話です。おかげで、今度の新しい猫は、どうもネズミが怖くて最初から捕る気もないようです。それでも、支持率が高いというのは、支持率調査がデタラメなのか、そうでないとしたら、日本国民は自分たちがネズミにかじられ続けられても、猫の白さの方が大事だとでも思っているに違いありません。
政治活動もそうです。何らかの動機で日本の国なり地域を良くしたい、そのために政治に関りたいと思ったらどうするでしょうか。有権者の人に自分の実現したい理想を聞いてもらって、賛同者を得、選挙で代表に選んでもらわねばなりません。有権者の人に自分の志しを知ってもらうのに、ドブ板はもちろんでしょうけど、キャンペーンの冊子やポスターをつくったり、それを配布したりするためのスタッフをやとったり、ミーティングを開く会場を確保したりするのに、金なしではできません。政治活動に金がいるのは当たり前で、そのキャンペーンの有効性は集めた金の額できまります。アメリカでのオバマとクリントンが良い例です。どれだけ多く金が集めれるかが政治家の力を決めます。政治は人数で決まり、人は金で動きます。
ところが日本では、マスコミが政治家を叩く時に、決まったように、「政治と金」と錦旗をかざすかのように言います。それを見聞きするたびに、私はマスコミの装ったバカさかげんに反吐がでそうになります。「政治と金」の問題というのは、具体的にどのような問題なのか、そこの説明がありません。マスコミはわざと説明しないのです。この意味不明の言葉が、特定の政治家の攻撃に都合がよいからです。人が金で動く以上、金は政治の最も重要なツールでありかつ目的です。金は政治のアルファでありオメガであると言っても過言ではないでしょう。なのに、この「政治と金」というコンテクストでは、「金」は良くない金であり、それに関する政治は悪い、という含意があります。金は世の中を回すために必要なツールなのですから、金そのものに色がついているわけではありません。同様に政治そのものに良いも悪いもないのです。この「政治と金」という言い方には、本当は問題があるかどうかもよくわからないけど、「政治」と「金」という言葉を繋ぎ合わせると、なぜか怪しげな雰囲気が醸されるので、政治家の悪口を書くのに都合が良い、という論理的分析能力欠乏し無批判で思考停止したパブロフ犬的マスコミの悪意ある怠慢さとでもいうようなものを感ぜずにはおれません。
前政権での鳩山氏と小沢氏の「政治と金」の問題をとりあげてみましょう。鳩山氏は一般の献金が集まらないので、お母さんからお金を貰って自分の政治活動に使い、その金の出所を違えて報告した、ということでした。このどこに「政治と金」と眉をつり上げるような問題があるのでしょう。活動費が足りないから裕福な親に助けてもらったということで、申告上の問題があったのかも知れませんけど、ワイロとか汚職とかという話とはほど遠い、慎ましい話です。お金は親からのものでしかもそれに対して払う必要のない税金まで払ったということですから、鳩山氏もこの件でマスコミや検察や税務署に政治妨害を受けるのが余程、嫌だったのでしょう。小沢氏に至っては、小沢氏と秘書が主張してきたように、自分の政治団体の金で土地を現金で買った、というだけのことでした。検察が描いていた絵での建設会社からのワイロの可能性に至っては、さんざん強制捜査を入れた挙げ句に何の証拠も見つけることはできず、二度にわたって不起訴となり無罪が証明されたワケです。秘書の人は、報告書類の記載方法が誤っているという理由だけで起訴されました。しかも、その記載方法は法的には多分、何の問題もなかった可能性が高いのです。
これらの話のどこに何の問題があると考えて、マスコミは「政治と金」の問題と言っているのでしょうか。そんなことよりも、自民党政権時代、多くの政治評論家が官房機密費という税金がソースの金から付け届けを貰って、自民党の宣伝を公共の電波を使って行った、という「マスコミと金」の方がよっぽど悪質でしょう。マスコミは、自分には耳の痛い問題は全くとりあげないくせに、自分たちに都合の悪い人間を(無批判に)批判して、社会に害をまき散らし、臆面もなく善人面をするのです。盗人猛々しいというか、片腹痛いというか。
日本はアメリカに植民地にされて過去65年間、巨額の金額を貢いできました。経済低調で最大の借金国である日本の将来を改善するには、理不尽にアメリカに押し売りされる米国債の購入を止め、基地を口実に巻き上げられている思いやり何とかという巨額の上納金を減らし、アメリカの基地を縮小していくことが大切だと思います。それをやろうとした前政権を、マスコミ、検察、野党がよってたかって潰してしまいました。理由は「政治と金」、それから戦後自民党はやろうとさえしなかった沖縄の基地問題の改善を試みたからだそうです。良い国にしようと頑張っている政権を同国の人間が、そんな、くだらないことをグダグダ言って潰すのを見ていると、本当に、「アホウにつける薬はない」と感ぜずにはおれません。結局、新しい民主党党首は「沖縄基地問題はどうにもならない(オレは基地のことは知らない)」「国民の生活よりも財源確保のために消費税は10%」と自民党と同じになってしまいました。折角の政権交代をマスコミがぶっ潰して、結局、国民よりも官僚とアメリカの利益を尊ぶ自民党政策に逆戻りしつつあります。
また「政治はクリーンでないといかん」というようなことを言う人が大勢います。順番を間違えて欲しくないと思います。それは、政治家がちゃんとするべきことをまずやってからの話です。やるべき仕事もできないくせに、クリーンだけが取り柄みたいな政治家は、いない方がましです。(別に、三木前首相のことを言っているわけではありません)誰が言ったのか忘れましたが、「白猫であろうが黒猫であろうが、ネズミを捕る猫が良い猫なのだ」という言葉を聞いたことがあります。前政権は、ネズミを捕ろうとしました。すると、マスコミや野党が猫は白くないといかんと言いがかりをつけ、ネズミを捕る邪魔をして猫の方を追い出してしまったという情けない話です。おかげで、今度の新しい猫は、どうもネズミが怖くて最初から捕る気もないようです。それでも、支持率が高いというのは、支持率調査がデタラメなのか、そうでないとしたら、日本国民は自分たちがネズミにかじられ続けられても、猫の白さの方が大事だとでも思っているに違いありません。