百醜千拙草

何とかやっています

研究と金

2010-06-18 | Weblog
6/4号のScienceのEditorialは、新井賢一さんが日本の科学の現状について書いておられました。内容には別段、目新しいことはないのですけど、Top-downで進めるgoal-orientedな研究が重視されすぎていることが若い世代がこの業界の先行きに対する不安を起こしてきているというようなことがかいてあります。とくにアカデミアでの研究職の厳しい現状のため、若い人が留学したりして自分の研究の幅を広げる余裕がなくなって来ているとあります。
 私も常々思っている事ですけど、研究活動は多くの場合、Top-dwonよりも、個々の研究者の自発的なプロポーザルに任せる(Investigator-initiatedl)ほうが実りが多いと思います。また、最近の巨額の金を少数研究室に集中させるという政策について、私も何度も批判させてもらいましたのでこれ以上しませんけど、とりわけ工学ではない生命科学の分野ではこの手のTop-downの戦略が成功した試しはまずありません。なぜなら多くのブレイクスルーというものは誰も予測できないところから偶然に生まれるものだからです。過去を振り返ってみても、偉大な発見がTop-downに金を注入して意図的に生み出されて来たのかどうか考えてみると、そういう例はあったとしても極めて稀な例外でしょう。その誰も予想もつかないところから生まれるブレイクスルーを拾うためには、小額の資金を広く多くの人に与えるべきだと思います。

また、国が科学研究を支援する意義というものがもっと広く議論されてもよいと思います。私は100%同意はしませんが、主流の考え方は、国による科学研究支援は「投資」であるという見方であろうと思います。つまり、何らかのリターンを期待するということです。6/10号のNatureのNews Featureのセクションでは、「What science is really worth?」と題して、科学を投資として見た場合の正当性について、議論されています。 過去を振り返れば、科学の発見が応用され商業化され、巨額の経済活動(または非金銭的な利益)に結びついたという例に枚挙がありません。このNatureに示されている表では、過去の例の推定で科学研究の投資における年間のリターンは20-67%と見積もられていますので、これは相当率のよい投資であったと考えることも可能でしょう。ただし、実際は、コストとリターンを見積もることは容易ではありませんから、こういう計算にどれだけ意味があるのか疑問視もされています。また、過去のことをいくら研究しても将来のことを予測するのは難しいのですから、これからも科学研究が良い投資であるという保証はありません。

ところで、少し話が飛びますけど、経済の発展が阻害されるのは、自由競争による持てる者と持たざるものの格差が広がるからだという理屈があります。金は天下の回りものです。金が天下を回ることが経済の発展ということです。格差が広がると、金は金持ちに集中します。貧乏人には使いたくても金がありません。金持ちは少数派ですから、いくらバンバン使ったところで、その金が天下にどんどん回るには限度があります。天下に金を回すには、つまり、一般大衆ががある程度の使える金をまず持つ必要があります。だから、累進課税で、富を再配分する、そうすることで、まずは大衆の消費を刺激する。そして、高所得者は大抵、ビジネスオーナーですから、その消費によって間接的に彼らのビジネスも潤うとことになります。私はおおむねこの意見に賛成です。持っている人が持っていない人にまず金を回す、それを使ってもらう、人々に金を使ってもらうことで経済活動が活発化する、金持ち(ビジネスオーナー)はそれで金の流入が増える、という理屈ですね。ちょっと前の映画化された本で「Pay it forward」というのがありました。普通なんらかの利益を受けたらそれに対して対価を支払うわけですけど、Pay it forwardは、利益をを期待せずに、まず支払うわけです。 見返りを期待せずに善意をもって誰かを助ける、その善意の行為が広まってやがて自分にも帰ってくるという話だったと思います。「情けは人のためならず、巡り巡って己が身のため」ということわざを思い出しますね。世の中は繋がった環です。その環を回していくには、まず、自分から与えることが重要だということでしょう。ですので、経済の活性化の理想的な形は金持ちが金を見返りを期待せずにばらまくことではないか、と考えたりします。民主党の新党首となった人は消費税を上げて、もたざる一般人から更に金を取り上げて、財源にするといいますが、経済困難を主な理由に年間3万人以上が自殺する日本という国では、それはおそらく経済をますます悪くするであろうと私は想像します。消費税ではなく、所得税の累進課税の勾配を強くすることで財源を確保するべきだと思います。それが金持ちの人にも、回り回って利益になると納得してもらう訳にはいきませんでしょうか。

話を戻します。近年の日本の科学政策で見られるTop-downのビッグプロジェクトに資金を集中させたり、ワールドプレミア何とかみたいな箱もの状のものを作ったり、ということが、研究室格差を広げるのは自明ではないでしょうか。上記のような理屈で、研究室格差が広がることは少なくとも国内の研究の発展を阻害するだろうと、私は想像するのです。競争原理というのは実力のあるていど拮抗した複数のパーティーがあってはじめて成り立つと思います。モノポリーでは腐敗するだけです。(自民党が良い例です)金に苦しいときだからこそ、金はばらまいて小規模の研究室を多数支援し、国内の研究界の裾野を広げ、個々の研究者に余裕を持たせることが、将来的に日本の研究界の発展を考える上で重要なのだと思います。仮に資金を集中投下して何らかの成果が得られたとしても「将成って万骨枯る」では、その天下も長くはないでしょう。結局は、研究でもなんでも、人が最も貴重な財産なのですから、現在のような不安定な研究界で、若者が喰わんがために萎縮してしまうようでは、将来が思いやられます。
コメント
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