百醜千拙草

何とかやっています

自分の頭で考えよう

2010-06-01 | Weblog
中学生のころ、学校の制服廃止を学級会の議題に上げたことがありました。私は制服が大嫌いでしたし、私の周囲の知っている生徒も制服には文句を言ってました。それで、制服廃止を訴えれば、きっと賛成多数になって一気に運動が進むに違いないと思ったのです。それで学級会で手を挙げて、「なぜ着たくもない服を毎日着ないといけないのか納得できない」という辺から期待を込めて説き起こしたのでした。意外なことに、クラスメートの反応は悪く、誰も賛同の声を上げません。それどころか、制服賛成者がいて「制服があるから、毎日、着ていく服を心配する必要がないのだ」みたいなことを朗々と反論され、私は正直、がっくりしてしまいました。最後の方で数人が制服反対論に賛成してくれましたが、最後の評決では、予想とは逆に、制服賛成論者が多数となり、私の制服廃止への期待は惨めに潰えました。なにより驚いたのは、その制服賛成論者の「制服があるから着ていく服を心配する必要がない」という理屈でした。自分の着る服ぐらい自分で決めるのは当然だし、服の心配をしたくないならその辺の着れるものを適当に着ればよいではないか、と当時の私は思ったものでした。

今、振り返ると、こういう思考こそが、日本人が江戸時代から延々と叩き込まれてきた教育の成果なのではないかと思うのです。「自分の服のことを心配したくない」という心理は何なのか、「面倒だ」と思うことよりも、人と違う服を着て目立ちたくない、人と違うように思われたくない、そんな心理があるのではないのかと想像するのです。誰か(学校や先生)が自分たちのすべきことを決めてくれて、それにそって生きていくのがラクだと思っているのではないか、そう感じるのです。

昔から日本では、将軍や天皇が、国民のすべき事を指示してくれて、国民はそれに沿って生活するものだ、という考えを日本の支配者層は刷り込んで来たのです。そうして思うように国民をコントロールしようとしてきました。5人組とか隣組とかいうとんでもない制度も、日本人の人と違ったことをすると罰せられる、出る杭は打たれる、という脅迫観念の醸成に役立って来たことでしょう。

そして第二次大戦後はアメリカでした。GHQが日本国憲法を決め、戦争放棄を決め、危険分子除去のために東京地検特捜を作りました。アメリカの決めたアメリカに都合の良い制度を、これまでの「お上」には絶対服従の日本人気質を利用して、日本の政府に埋め込んだのです。戦後の日本の首相はアメリカCIAエージェントだと言われています。読売の正力さんもそうらしいです。東京地検特捜はGHQが作ったものです。つまり、政治家、司法行使(検察)、マスコミと、戦後の日本の権力は、全部アメリカにコントロールされてきたわけです。

角栄がアメリカからの独立を目指して日中国交正常化を果たした結果、ロッキードで嵌められました。その後もアメリカの手先であった清和会系の政治家は、いくら汚職をしようとも全く手つかずで安泰、一方、角栄の流れを組む経世会系は、角栄を始めとして、竹下登はリクルート、金丸は佐川急便事件、橋本龍太郎は日本歯科連盟ヤミ献金疑惑、大平、小渕は首相任期中の不審死(暗殺疑い)、と露骨に特捜に上げられて失脚したり、命を失ったりしています。一方、清和会は皆、安泰。そして、この数年、特捜に散々やられているのは、角栄の弟子、小沢氏です。新聞の論調を見ていますと、「お上(アメリカとその手先の日本の権力組織)」に逆らうから痛い目にあうのだ、という本音が丸見えです。こういう「出る杭は打たれる」、「お上は絶対」という洗脳メッセージを、未だに毎日、毎日、マスコミが国民に流しているのですから、国民の方も、「自分の周囲さえ良ければそれでよい、自分たちは、お上(アメリカ)の決めた通りに家畜のように生きて行けばよいのだ」と国家レベルの話には思考停止に陥るのも無理ありません。

日本経済が良かったうちは、身の回りのことだけを考えていても問題ありませんでした。経済成長が止まって30年たち、少子化高齢化が進んできていた上に、小泉、竹中が更にトドメをさして日本経済を荒廃させてしまった現在、「お上」に言う事を、唯々諾々と聞いていたらどうなるか、自明だと思います。アメリカが牧場主として、日本が乳牛だと見てみます。日本の高齢化少子化に伴う経済低迷などで、もうミルクが出ないとなれば、窮した牧場主はあとは餌もやらずに見殺しにするだけではないでしょうか。それが、日本をほとんど素通りして中国へ行ったクリントンの行動に表れています。日本が基地を提供して、年間600億とも言われる上納金を収め、郵便貯金でアメリカの国債を買える可能性のあるうちは、日本は利用価値があると思っているでしょう。その後、搾り取るだけ取った後は、アメリカはさっくりと極東の軍事基地を縮小し、中国とは平和外交、食い詰めた日本がそのころになって暴れ出したら、逆に、テロ国家と勝手に宣言して、安全保障条約はどこへやら、中国と一緒になって攻撃してくることでしょう。

日本人は自分の頭で国のことを考えねばなりません。誰かに自分のことを考えてもらったり指し図してもらったりしていては、自分の生活は守れません。昔の戦場で、処刑する捕虜に自分自身の墓を掘らせて、殺した後そこに埋めるという話がありますが、日本人が今、マスコミの洗脳にあってさせられていることは、まさに自らの墓穴を掘っていることに他なりません。

その隷属関係から逃れる唯一の方法は、国家が再軍備したり核武装したりという物質的なものではなく、国民全員の意志だと思います。国民全員が日米安保に代表される日本の植民地支配構造にノーと言うこと、日本国民が自らの意志でアメリカ独立を願い、マスコミの洗脳や国家権力を使った脅しに屈しない、という意志を表明することだと私は思います。

しかし、中学校のころの制服廃止に対するクラスメートの反応を思い出すと、私、これは容易な事ではないだろうなあ、と思わずにはおれません。あれから随分経っていますが、「アメリカの植民地から独立したいか」と聞いて、「したい」と即答する人間は3割に満たないだろう、と想像します。日本がアメリカの植民地であるという自覚でさえない人が5割以上はいることでしょう。悲しいことです。
コメント (3)
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