百醜千拙草

何とかやっています

同時投稿する人

2015-05-07 | Weblog
一週間ほど前に某ジャーナルからレビューの依頼がありました。最近、論文出版数が劇的に増加している某国からのものです。論文を一通り読んでからこれはアクセプトはできないなと思いながらも、なるべる建設的なコメントを書こうと考えていました。今朝、メールを見ると別のよく知らないジャーナルからレビューの依頼がきていて、余り考えずに「引き受ける」のリンクを押そうとして、タイトルを見てアレレと思いました。よく見ると、それはすでにレビューをしている一週間前に別のジャーナルに投稿されたものと全く同じ原稿だったのです。よく見るとアブストラクトも全く同じです。

とたんに多少の怒りが湧いてきました。そもそも複数雑誌に同時投稿するというのは多分殆どの雑誌で禁止されていることで非倫理的な行為だと思います。科学論文はピアレビューであり、レビューアは大概、自分の研究の時間を割いて無料奉仕で他人の論文の評価をしていると思います。「お互いさま」という意識があるのでこういう出版行為に参加していると思います。原稿を扱う編集者の人も大抵がアカデミアの人が無償でやっていることが多いと思います。学術論文の出版は、こういうボランティア活動の上に成り立っており、お互いさまだからお互いに敬意をもって誠実にやりましょう、というコミュニティー意識がその根底にあります。

しかるに、この著者らは、その原稿のプロセスやレビューに費やされる労力はあたかも自分の論文の出版のために無料で無制限に利用できるとでも思っているかのようです。それで、この二つめの依頼には、同時投稿であるのを理由にレビューは断りました。一つ目のジャーナルの投稿に関しては建設的なリジェクトになるようなコメントを書くつもりでしたがその気も失せてしまいました。

研究や出版活動での倫理や道徳は、コミュニティーレベルでの長期的繁栄を目指しています。しかるに、昨今、激化するグラント獲得競争、出世競争で、研究者が己の業績をあげるために、倫理や道徳、正直さ、奉仕の精神を省みない「利己的」行動の事例が多く目立つ様になりました。ハイインパクト論文では研究不正ゼロの論文の方がひょっとしたら少ないぐらいかも知れません。

そういう利己的な人々が増えると、規制を厳しくせざるを得ません。世間には、法に抵触しなければ何をやってもよいと思っているような人が少なからずいますが、それらの人々は「法律」というものは最低レベルの行動基準であるということに余り意識的でないのだろうと思います。人々の行動基準が正規分布を示すとすると法とかルールはおそらく-2 S.D.ぐらいに設定されているのではないでしょうか。即ちコミュニティーの中で下から2.5%ぐらいです。それ位の人数が法律ギリギリ行為をするのであれば、コミュニティー全体としては許容できます。しかしもっと低い基準値を使う人が増えるとコミュニティーのレベルを保つためには規制を強めるしかなくなると思います。それは、正直に普通にやっている人々の負担を増やすことになります。悪貨は良貨を駆逐するとのたとえがありますが、利己的な人々が増えるとそうでない人々が迷惑を被ることになります。

それで思い出しましたが、最近、Natureで4ページを割いて"Collateral damage"と題された神戸の理研解体を取り上げた記事を読みました。一研究不正事件が組織そのものを変えてしまい、巻き添えになった人々の人生に大きな影響を及ぼした事件でした。
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