tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

三春滝桜、本郷の滝桜(又兵衛桜)

2011年04月17日 | 日々是雑感
4/14(木)、大和郡山市(奈良県)の郡山城跡に、花見に行った。桜はすでに「散り始め」で、時おり吹く突風に花びらが舞い上がっては落ち、石畳や石垣に散り敷いていて、これも風情のある眺めだった。地方選の関係か、花の盛りを待たずに「お城まつり」(3/25~4/3)が終わっていたので、訪れる人は少なく、のんびりと桜を堪能できた。
※大和郡山市民・おぜんさんのブログ「昨日の郡山城 桜」にも写真が出ている





なお郡山城は、Wikipedia「郡山城(大和国)」によると《豊臣政権では秀吉の弟秀長の居城となり、江戸時代には郡山藩の藩庁が置かれた》《10世紀後半、郡山衆が雁陣の城を築いたという記録が郡山城の初見とされる。奈良時代には薬園が営まれていた。郡山城は、秋篠川と富雄川の中間に突き出た西京丘陵南端上に位置する。平山城または平城として明智光秀や藤堂高虎らが普請に携わり、筒井順慶や羽柴秀長らの主導によって改修された》。





《奈良は良質な石材が乏しかったため、奈良一帯の各戸に五郎太石(直径15センチメートルほどの加工されていない石)20荷の提供を義務付け、寺院の石地蔵や墓石、仏塔なども徴発され石垣石として使用された。中には、平城京羅城門のものであるといわれる礎石が使われていたり、8世紀ごろの土塔の一つである「頭塔」が郡山城の石垣の中から見つかっている》。





《15世紀初頭、増田(ました)長盛が改易された後一時廃城となるが、水野勝成入封時に徳川幕府よって改修を受けた。その後は譜代大名が歴代城主を務め、柳沢吉里が入封後は柳沢氏が明治維新まで居城とした。桜の名所として、日本さくら名所100選に選定されている》。







又兵衛桜の名で知られる「本郷の滝桜」(宇陀市大宇陀区本郷)も、満開となった。この桜は、Wikipedia「又兵衛桜」によると《樹齢300年とも言われる桜の古木。瀧桜(たきざくら)とも呼ばれる。県の保護樹。2000年のNHK大河ドラマ『葵徳川三代』のオープニング映像で使用された事で有名になった。大坂の役で活躍した、戦国武将後藤基次(又兵衛)にちなんだもの。豊臣家崩壊後、後藤基次は大宇陀(現 奈良県宇陀市大宇陀区)の地で暮らし、再興の時期を待ったと言われるが、桜はその時の後藤家屋敷跡にある》。滝桜とは、「流れ落ちる滝のように見事な花」という意味だろう。


tenbouさんが4/15に撮影された本郷の滝桜(トップ写真とも)。有難うございました!

奈良新聞(4/16付)「風格ひときわ 又兵衛桜満開に」によると《今年は例年より1週間ほど遅れて今月8日ごろから開花。数日来の陽気で一気に満開となった。大宇陀観光協会の植田安博会長は「桜の開花が遅れたため瀧桜とハナモモやモクレン、ヤマザクラなどが一気に咲いた。数年に1度しかないチャンスを見に来てください」と話していた。又兵衛桜周辺の「桜まつり」は17日まで》。


天益寺(てんやくじ=宇陀市大宇陀区迫間366)の桜(tenbouさんが4/15に撮影)


宝蔵寺(吉野郡東吉野村大字木津58-1)の桜(同上)

奈良市に大和文華館(奈良市学園南1-11-6)という美術館がある。近畿日本鉄道(近鉄)の創立50周年を記念して作られたミュージアムで、ここにも見事な滝桜(しだれ桜)がある。名前は「三春滝桜」。同館の「季刊 美のたよりNo.138」(02.4.5)によると《日本三大桜の1つと言われる福島県田村郡三春町の天然記念物、樹齢1000~1200年の三春滝桜(ベニシダレザクラ)の種子から育てられた苗を頂いて、20年以上になるでしょうか。17本の内、2本枯れてしまいましたが、あとは立派に生長しています。大きなもので樹高9m以上あり、幹周は1m、樹冠は12m×9mに達しています。開花も見事です。親の滝桜は、樹高19m、幹周約9.5mで、樹冠は、東西に約22m、南北に約17mと、較べものにならないほど大きなものですが、樹齢が約25年であることを考えますと、凄まじい生長ぶりであると思われます》。


大和文華館の三春滝桜(4/1の様子)。同館のHPより拝借

私は数年前に大和文華館を訪ねることによって、偶然、福島県の「三春滝桜」のことを知ったわけである。最近になって「東日本大震災で、ご本家の三春滝桜に被害はなかったのだろうか」とにわかに心配になった。何しろ樹齢1000~1200年という老木である。地図を開くと、三春町は郡山市にほど近い山あいの町で、福島第1原発からの距離は約45kmである。ネットで検索すると、日刊スポーツの社会ニュース(4/15付)がヒットした。見出しは「見に来て、福島・三春町滝桜 週末にも開花」だ。

《三春の滝桜は今年も元気です! 桜前線が順調に北上する中、“日本3大巨桜”に数えられる福島県三春町の滝桜が今週末にも開花し、22日ごろに満開を迎えそうだ。毎年30万人以上の観光客でにぎわうが、原発事故が県内で発生した影響で、今年は予約客の9割がキャンセルする旅館も出るなど風評被害に苦しんでいる。町では、昨年約7000万円の財源となった1人300円の観桜料金も無料にして集客を訴える。現在受け入れている被災民の花見会も企画している》。


「三春滝桜のホームページ」より拝借(以下の3枚とも)

《三春町の市街地を歩いていると、大きなしだれ桜に、あちらこちらで出合うことができる。約5キロほど散策すると、山の斜面にピンクの大きな滝のような滝桜が現れる。まだ開花していないが、東日本大震災にビクともせずに立っている。今年の満開は22日ごろ。桜の健在さとは裏腹に、毎年30万人以上訪れる観光客は、減少しそうだ》。

《三春町で80年の歴史を誇る若松屋旅館の3~4月は、連日満室で1年前から予約すらとれない。ところが震災以降は、9割がキャンセルとなった。旅館では「今は被災者の4世帯と報道陣の方だけ。もちろん、部屋は空いています。こんなことは初めて。まだ滝桜のご宿泊も大丈夫です」と話す》。



《町役場では、4月8日から30日まで、夜間ライトアップをして、無料シャトルバスなどを出す予定で、1人300円の観桜料金を設定するはずだった。しかし、県への風評被害や自粛ムードもあって3月25日に「観桜料金の徴収」「夜間照明」「無料シャトルバスの運行」を中止とした。観桜料金だけで昨年は約6992万円の財源となり、観光協会では「大きな痛手。1日で50台ぐらいは大型バスも来ましたが今年は0台。でも、誰でも滝桜をご覧いただける」と必死にアピールした》。

《福島第1原発からの距離は45キロで、震災2日後には県内2053人が避難してきた。今も471人の被災者を受け入れ、7月をメドに仮設住宅600戸も建設する。満開時には被災者を対象とした滝桜観賞も計画する。鈴木義孝(よしのり)町長(71)は「1000年たっても健在な滝桜から元気をもらってほしい。今冬は非常に寒かったから、きれいな桜になりますよ。県外から来る方も、今年は渋滞なしで、みられるからおいでなせえ」とアピールした》。



良かった、良かった。町のHPには「平成23年三春滝桜観光のお知らせ」が出ていて《この度の東北太平洋沖地震では、太平洋側を中心に大きな被害があり、多くのみなさんが避難所生活を余儀なくされており、今後の見通しが立たない状態が続いております。平成23年の三春滝桜の観光については、これまでお客様の受け入れ態勢の充実を図るべく準備を進めておりましたが、次の事項については実施を見送る(中止)こととしましたので、皆様のご理解とご支援をお願いします》。

中止となったのは、JR三春駅からの臨時バスや無料シャトルバス、滝桜のライトアップなどである。《三春滝桜は、このたびの震災による被害もなく元気な状態です。今年の滝桜観光の受入態勢は充分に整えることはできませんが、被災されたみなさんをはじめ、町内外の多くのみなさんにも、ぜひお越しいただき、千年の刻を見守りつづける滝桜から元気を受け取っていただけたら幸いです》。



三春町の有志でつくる三春滝桜のホームページによると、滝桜は4/15に開花した。《滝桜へ大勢の皆さんからメッセージをいただき、ありがとうございます。幸いなことに滝桜は無事です。被災された方々に、心よりお見舞いを申し上げます。三春町も避難受入や原発事故の影響があり、大変な状態ですが、みんながんばっています》。

「年々歳々花相似(はなあいにたり)、歳々年々人不同(ひとおなじからず)」という唐の詩(作者は劉希夷=りゅうきい)が、これほど身につまされた年はない。毎年毎年花は同じように咲くが、人の世は年とともに移り変わり、生まれる人がいれば亡くなる人もいて、同じ顔ぶれは続かない。自然の営みは変わらなくても、人の世は変化する。生者必滅の理(ことわり)である。

「まだ滝桜のご宿泊も大丈夫です」とのことなので、急いで駆けつけたいところだが、関西からはそう簡単にはいかない。その代わり、せめて福島の地酒を取り寄せて、気の置けない仲間と一献、傾けることにしたい。
コメント (10)
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