tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

桂雀太さん(五條市出身)の落語会、7/31開催!(Topic)

2011年06月20日 | お知らせ
ウチの会社OBのKさんから「7/31(日)、五條市の藤岡家住宅で桂雀太さんの落語会があります。雀太さんは、OBの岡田さんの息子さんですよ」という情報をいただいた。当のKさんも、藤岡家住宅でボランティアをされている。

Wikipedia「桂雀太」によると《桂 雀太(かつら じゃくた、1977年2月26日 - )は奈良県五條市出身の落語家。本名は岡田 健作(おかだ けんさく)。所属事務所は米朝事務所。上方落語協会会員(2008年12月復帰)。関西大学卒業後、しばらくして2002年5月に桂雀三郎に入門。同年7月、大阪トリイホールでの「雀三郎みなみ亭」にて初舞台。2005年5月よりほぼ毎週、自宅で収録したラジオ番組を公式サイトにて無料配信している》。

落語会の詳細は、同住宅の公式HPに出ていた。

第2回藤岡家住宅見学寄席

【日時】平成23年7月31日(日)
【時間】13時開場 13時30分開演
【主催】NPO法人「うちのの館」
【場所】藤岡家住宅
桂 雀太、すずめ家すずめ、すずめ家ちゅん助、生駒亭しん茶
入場料=千五百円
【問い合わせ】NPO法人うちのの館 TEL/FAX:0747-22-4013 五條市近内町526


このほか藤岡家住宅では、夏のイベントが目白押しである。ぜひいちど、お訪ねいただきたい。

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吉田さらさ著『神様と出会う 神社の旅 奈良編』は、おススメです!

2011年06月19日 | 記紀・万葉
とても楽しい奈良の神社紹介本を読んだ。それが6/3に刊行されたばかりの吉田さらさ著『神様と出会う 神社の旅 奈良編』(青林社刊)1800円 である。書籍というより写真が満載(ほとんどは吉田さんご自身の撮影)なので、MOOKのような趣である。吉田さんは「難しいことを分かりやすく面白く、しかも正確に書く」達人であり、それが本書にも遺憾なく発揮されている。私は、まさに「巻を措(お)くあたわず」、一気に最後まで読んでしまった。これからも当ブログで奈良の神社を紹介するときには、本書を引用させていただくことにしたい。

例えば「談山(たんざん)神社」の章では《今は神社となりましたが、昔はお寺でもあったため、境内には、神社らしからぬ建物もあります。まずは塔にご注目。塔とは、もともとお釈迦様のお骨(仏舎利)を祀るために造られた、お寺に特有の建造物です。しかしこちらの十三重塔は、鎌足公のお墓なので、仏舎利はありません。お寺として見ると、ご本尊とされる仏像がないのも謎です》。

神様と出会う神社の旅 奈良編
文・写真 吉田さらさ
青林堂

《普通お寺では、お堂の真ん中に如来や菩薩などの仏様をご本尊として祀るものですが、ここにはそれがないのです。また、神社として見た場合、祭神が鎌足公なのも、ちょっと不思議。神社には実在の人物を神格化して祀る例も多く、鎌足公がその元祖なのです。つまりこちらは、偉大なる鎌足公を仏様として、そして祭神としても祀る特別な神社と言えます》という具合なのだ。ね、よく分かるでしょう?

吉田さんは、ご自身の公式ブログ「テラタビスト吉田さらさの日々是お参り日記」で、本書をこのように紹介している。《この本のお勧めポイント①古事記や日本書紀に出てくる神様の基本がわかる。②神話と神社、古代の奈良、ひいては日本の始まりがどんなふうであったのかがわかる。③奈良の祭がたいへん興味深い歴史を秘めていることがわかる。④古代の日本人がどんなふうに神様に祈ってきたか、そしてそれは、現代にどのように伝承されてきたかがわかる。⑤奈良を本当に知るためには、お寺ばかりでなく神社にも行くべきだということがわかる》。


高鴨(たかかも)神社。5/21撮影(トップ写真とも)

《今回の本は、いつものように、わたしがひとりで好きな場所をふらふら歩いて書いたエッセイではなく、神社本庁さん、奈良県庁観光課さん、有名旅館のご主人など、たくさんの有識者のアドバイスとバックアップを得て取材に回ったので、普通の旅行者は見られないものも見せていただいたり、入れないところに入れていただいたりしています》。

《そのため、いつものような個人的感想や旅の道草情報は少なく、ガイドブックのような形式になっています。しかし、普通のガイドブックには載っていない、より深く詳しい解説をつけました。取材は昨年の秋から初冬に行いました。その時期の奈良の神社ではさまざまな祭が行われていたため、いくつか参列させていただきました。氏子さんしか参加できない祭の準備の取材をさせていただいたりもしました。その結果、わかったことは、「奈良の文化は京都に都が移った時点で断絶し、京都の文化のように現代まで伝承されていない」という定説は間違いである ということです》。

《京都は平安遷都以来、ずっと都であり続けたので、貴族、武士、そして庶民の間で生まれた数々の文化が伝承されているが、奈良は平安遷都以降はさびれたため、古い文化は伝承されていない。 これは、奈良と京都を比較する際に、一般的によく言われることです。しかし、奈良の神社を歩いてみると、そこには、平安遷都以前、あるいはそれ以降から続く伝統がいくらでも残っていることがわかります。特に祭が面白いのですが、京都との違いは、奈良の神社は、祭を、観光客を呼ぶために利用しないということ。全国的に宣伝などをしないため、地元の人しか知らない祭も数々あるのです》。

《奈良の春日大社のおん祭は、1136年に始まって以来、一度も途切れることなく、八百七十有余年も続いているのです。おん祭は、12月半ばの深夜に行われる、実に厳粛な祭で、平安時代の雅楽や舞楽もたくさん奉納されます。これは、「平安の都」である京都でも、ちょっと見られないものです。そして何よりも、奈良には京都よりはるかに古い歴史があり、奈良がなければ京都もなかったかも知れないのです。京都ももちろんいいけれど、日本の文化や歴史に興味があるなら、奈良をもっとよく知って欲しい。これは前からずっと思っていたことですが、今回の本の取材を通して、ますます強くそう思うようになりました》。


高天彦(たかまひこ)神社。07.9.2撮影

引用が長くなってしまった。今、「寺院から神社へ」が、私の仲間うちでマイ・ブーム(アワ・ブーム?)なのである。だから吉田さんが《以前の著書には、「お寺と違って、神社はイマイチつまらない」とまで書いたものです。でもそれは、無知による大きな勘違いでした。(中略) 神道を勉強していく過程で、神々の物語である古事記がどれほど面白いかがわかるようになりました。その重要な舞台のひとつが、ここ奈良です》(本書「はじめに」)と、書かれている意味がよく分かる。私たちにとっては、来年の「古事記完成1300年」をにらんでのマイ・ブームなのだが…。

本書には、旧知の金田充史(かねだ・みつふみ)さんが、奈良で最古の旅籠のご主人(魚佐旅館 専務)として顔写真入りで登場されたり、多武峰(とうのみね)観光ホテルの名物・義経鍋が紹介されたりと、地元民としては「おお~」と楽しめるネタが満載である。早くも近所の本屋(TSUTAYA近鉄学園前店)でも平積みされている。同書は、よく似た体裁の『江原啓之 神紀行(1)伊勢・熊野・奈良』(マガジンハウス刊)952円の倍近い値段だが、その値打ちは十分にある。

奈良の神社のことを楽しく学ぶにはピッタリの本である。皆さん、ぜひいちど、書店で手にとってご覧ください。
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柳生花しょうぶ園(2011)が見ごろ!(Topic)

2011年06月18日 | お知らせ
奈良市柳生町403にある「柳生花しょうぶ園」で、花が見ごろを迎えているそうだ(6/17現在)。近鉄の「花だより」で知った。
※写真は、07.6.23の撮影

ここは、県ビジターズビューローの「大和路アーカイブ」によると《休耕田を利用した花園。旧柳生陣屋敷のそばに広がる。6月の花の季節をむかえると、1万m2の園内に400品種約80万本に及ぶ色とりどりの花しょうぶが咲き誇る。また、園内には珍しいアジサイも咲く。昔から武士の花として尊ばれている花しょうぶは、剣豪の里柳生にふさわしい花といえる》。



では、なぜ「武士の花」なのか。この花は以前、NHKの「美の壷」でも取り上げられていた。同番組のサイトに、古野晶子アナがこんなコメントを寄せている(今週のコラム)。《「花菖蒲」は江戸時代に武士から愛され、品種改良が重ねられた植物。まっすぐ伸びた茎の上に咲く花からは気品を感じますが、なぜ特に好まれたのでしょうか?その理由は言葉への“しゃれ心”にありました。「菖蒲」という音が、武士が守るべき道=“武道”を重んじる言葉を指す、「尚武」と同音だったことから、武士たちはこの花を手塩にかけて育てたというのです》。



なるほど、菖蒲が尚武(武事・軍事を重んじること)に通じるのである。しかし花言葉は「やさしい心」。これはカッコいい。フィリップ・マーロウの「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」(If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.)を思い出す。天気予報で、今日は雨だが明日は回復する。雨中の花しょうぶも風情があるし、雨を吸ってみずみずしい花もいい。ここにはアジサイもたくさん植えられている。ぜひ、柳生花しょうぶ園をお訪ねいただきたい。
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東大寺学園中学が「東大寺学」を授業

2011年06月17日 | 奈良にこだわる
東大寺 (別冊太陽 日本のこころ)
西山厚 監修
平凡社

今朝(6/17)の毎日新聞大阪本社版社会面に「東大寺に学ぶ 進学校で授業 歴史、写経・読経に田植え…」という記事が載っていた。《関西屈指の進学校、東大寺学園(奈良市)が今年度、東大寺の歴史や仏教などを学ぶ「東大寺学」を中学校のカリキュラムに組み込んだ。同学園が授業に宗教教育を取り入れるのは創立以来初めて。人間性豊かな将来のリーダーの養成に役立つと判断した》。

《「東大寺学」は道徳の授業に組み入れ、中学3年間で計20回程度を予定。東大寺の歴史や創建の精神などを同学園常任理事で東大寺清涼院住職の森本公穣さん(42)が教える。5月には、2年生に「聖武天皇と大仏さま~大仏はなぜつくられたか」というテーマで授業をした。講義だけでなく、写経や読経、田植え体験なども予定している》。

《同学園は、前身の金鐘中等学校が設立された1926年から86年に現在の奈良市山陵町に移転するまで、東大寺境内にあった。戦前は、若い僧侶らが授業を担当。戦後も、生徒らは、大仏殿に向かって帽子を取って一礼するルールが引き継がれるなど、寺を身近に感じながら学んだという。移転で環境が変わった後も、心の教育を求める保護者の声があり、リーダーに必要な素養を幅広く身に着ける目的もあって「東大寺学」の導入を決めた》。

考えてみれば、お寺が作る学校なのだから、宗教や道徳の授業でお寺のことを学ぶのは、ある意味で当然のことなのだ。しかし、何しろ東大に43人・京大に65人が合格する(11年度)という名うての進学校なので、なかなか時間が取れなかったのだろう。

東大寺とか大仏と聞いてまず思い出すのは、西山厚氏(奈良国立博物館学芸部長)の話である。古代史ブーム、仏像ブームのなかで、あまりに有名であるために、かえって軽視されている東大寺や大仏に、もっと注目すべきだとおっしゃっている。たとえば「大仏はなぜ造られたのか」(株式会社ウェッジが発行するメールマガジン「WEDGE Infinity」09.10.14付)には《大事なのは次の文章である。「事成り易く、心至り難し」。富と権力で造るのなら簡単だが、それでは心がこもらない。だからだめだと聖武天皇は主張する。ではどうするのか。大仏造立に関わる人は、一人一人が自分の盧舎那仏を造るように。造っている最中から、日に三度、盧舎那仏を拝みなさい‥‥。不思議な言葉である。しかし、聖武天皇がめざすところがわかるような気がする》。

《「人有(あり)て、一枝の草、一把(にぎり)の土を持ちて、像を助け造らむと情(こころ)に願はば、恣(ほしいまま)に聴(ゆる)せ」。もしも、誰かが、一枝の草や一握りの土を持ってきて、自分も大仏造立を手伝いたいと言ったならば、これを許せ、と言っている。一枝の草、一握りの土。そんなものが何の役に立つだろうか。何の役にも立ちはしない。力もない。お金もない。でもみんなを幸せにする事業に自分も関わりたい。そういう人たちが現れてくれることを聖武天皇は願っていた。そういう人たちの力を結集して造らなければ、大仏を造る意味がない。聖武天皇はそう考えていたのである》。

《盧舎那仏とはどういう仏なのか。そして『華厳経』とはどういう経典なのか。「盧舎那仏」は光の仏という意味。「華厳」とは世界を華で飾るという意味。さとりを求めて実践する菩薩たちのさまざまな行為が「華」となり、世界を美しく飾っていく》《盧舎那仏が住む世界は蓮華蔵世界と呼ばれる。蓮華蔵世界は、盧舎那仏がまだ菩薩だった頃に、長い時間をかけ、みずからの実践によって美しく飾った世界である。その美しい世界を、今度は私たちが、私たちの実践によって、さらに美しく飾っていこうというのが『華厳経』の考え方である》。

《人間も、そのほかの動物も、植物も、命なき細かい塵さえもが、等しく尊いと『華厳経』は説いている。人間と塵を平等とみなす思想。私たちの常識や想像を越える究極の平等思想である。『華厳経』によれば、盧舎那仏が住む蓮華蔵世界は、一切香水海という大海と、幾層にも重なる大地と風の渦に下支えされている。そして最下層に位置する風の渦の名は「平等」。「平等」に支えられた蓮華蔵世界は、あらゆる存在によって美しく飾られた、究極の平等世界なのである。動物も植物もともに栄える世を願い、一枝の草や一握りの土をもって現れる人たちを待ち望む聖武天皇。その思いの背後に『華厳経』があることは明らかだろう》。

こういう教えを、将来の日本を背負う東大寺学園の生徒たちが学ぶのは、素晴らしいことである。私も、こっそり聞いてみたいなぁ。
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明日は、率川神社ゆり祭り(Topic)

2011年06月16日 | お知らせ
毎年6月17日は、率川神社(いさがわじんじゃ 奈良市本子守町)の「三枝祭り」という悪除け祈願の祭りが営まれる。すでに701年の大宝令に記載されているという由緒あるお祭りである。奈良検定のテキストには《笹ゆりが供えられるので一般にゆり祭と呼ばれる。神社から百合御輿や七媛女(ななおとめ)・百合姫などの時代行列が奈良市内を練り歩く》とある。率川神社は、桜井の大神神社(おおみわじんじゃ=三輪明神)の境外摂社である。ゆり祭りのササユリは大神神社から届けられる。
※トップ写真は、奈良市観光協会のホームページから拝借

6/9付奈良新聞「神の杜に優しい彩り 大神神社のササユリ見頃」によると《奈良市の率川神社で17日に行われる三枝祭(ゆりまつり)を前に、桜井市三輪の大神神社でササユリの花が優雅に咲いている。率川神社は大神神社の摂社で、毎年、三輪山のユリを同神社に奉納している。ユリは種から育てると開花まで7年もかかる。近年では自生するユリが減ってきたため「ササユリにおう三輪山を復活させよう」と、農家による崇敬講「豊年講」によって平成4年から育成栽培を開始。11年に初めてユリ園に花を咲かせた》。

《今月1日ごろ開花。ピークは今週末になりそう。同神社には「大美和の杜」など数箇所で植えられている。宝物収蔵庫脇のササユリ周遊路では11年前からこの時期に公開され、約千本のユリが深い緑の中で薄いピンクの花を咲かせているのが間近で見られる。20日まで公開の予定》。

率川神社の公式HPによると、お祭りは

6月16日 15時00分 三枝祭宵宮祭
6月17日 10時30分 三枝祭 
      13時15分 七媛女・ゆり姫・稚児行列安全祈願祭
6月18日 10時00分 三枝祭後宴祭

というスケジュールである。三島由紀夫は45年前の1966年(昭和41年)6月17日、『奔馬』(豊饒の海・第二巻)の取材のため、この神社にお参りしている。時代衣装を身にまとった七媛女(ななおとめ)や百合姫などが登場する優雅な祭りである。天気予報では雨だが、その場合、13時15分からの行列は中止となるので、ご注意いただきたい。
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