この石碑は淀競馬場の近くに建っていた。
鳥羽伏見の戦いはここよりずっと上流、現在の小枝橋付近で勃発したのだが、次第に戦場が下がり淀での激戦のあと東軍は敗走していくことになる。
私が生まれ育ったのは新潟県の十日町だけれど、会津藩の領地だった。
越後での戊辰戦争は長岡藩の戦いが有名で、十日町は西軍が進んでいった通り道の一つになったようだ。
小さな戦闘も山向こうの小出という地であった。
西軍(官軍)の戦死者は東京招魂社(今現在の靖国神社)に祀られ、敗走した東軍は賊軍となり、戦死者はその地その地の僧などにより埋葬されたようで、残念無念の碑なんであります。