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これもときどき通る散歩コースの途中にある御蔵山聖天。奇妙な鳥居だとは思っていた。お寺のはずだったけれど神社なのか・・と思ったりしながら境内を回った。
鐘撞堂があった。我が故郷のお寺は、私が境内で遊んだ子ども時分には、鐘撞堂があっても鐘が下がっておらず、戦時中に供出したということだった。戦争は罰当たりなことをする。
神仏習合という文字は知っていたが検索してみて納得。廃仏毀釈のときはどういう扱いを受けたのだろうと思ったけれど、創られたのが大正なら問題なし。
菩薩像が他所のお寺から移安されたとある。移安とは移設安置ということか。どういう事情で移されたのだろう。何かしら交換条件があったのか。寺が寂れて守ることもできなくなって身売りしたのか。開創というのはお寺を創ることだそうで、大正九年は新しい。目玉がこの像だったのだろう・・などといったらあまりに俗か。
※1年間毎日このブログを更新することができた。ずっと続けると宣言することも、密かに心に決めるようなこともしないでおこう。何となく何となく流れていくだけ。読んで下さる方に感謝。