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この石碑の裏に銅銘板が嵌め込まれてあり、説明が刻まれている。よく見ないと読めないほど変色したり傷つけられたりしているので画像を見ても文字が読めない。要は平安時代の藤原氏全盛期に、京極殿と呼ばれた要人の別荘や田畑があった場所という事のようだ。隣の山には松殿と呼ばれた人の別荘もあったようで、その場所で道元が生まれた。
『別業』という言葉が銘板に書いてある。おおよそ別荘という意味らしいけれど、山林や田畑も含んだ不動産全体を示すようだ。少し離れているけれど、我が家は京極殿の別業内かも知れない。京と宇治のあいだにある木幡の地は、誰のものかはっきりしないような宇治陵という墳墓がたくさん散らばってある。何号墳墓という区別の全部が宇治陵とひとくくりで言われている。平安時代の摂関家藤原北家…云々と検索すると出てくる。画像の宇治陵は先の御蔵山聖天のある頂上から少し下った中腹のもの。
住宅地の公園にこの京極殿の碑は置かれているけれど、宅地造成のときに何かが出てきたのかどうか。土木関連の仕事に就いてる友人が『昔のモノがでてくると工事が中断されて困る・・』とぼやいていたことがある。ある俳優が、世に出る前そのような土木現場でアルバイトをしていた時に何か出てきても放りなげて無視したとテレビで言っていた。そうして『ぼくは歴史を変えた』と司会者が対応に困るようなことも言っていた。そんなことを思い出す。