囲い板は冬だけ1階の窓を覆うものだから、他の時季は物置小屋などに収納しておく。
ところが、老朽化した物置小屋を取り壊してしまったので収納場所がない。
窓下に積んだりしていたのだが、縁の下に突っ込んだら良いのではないかと考えた。
前から分かってはいたのだが、うちの縁の下は何故か色んなものが雑然と突っ込まれている。
ようやく必要に迫られ、突っ込まれているものを竹竿を使って取り出してみた。
家屋に対して責任や保守意識がある者なら、縁の下に何かを放り込むことなどするはずがない。
子供達や家を出た者や出入りの者などの仕業であろうと思われる。
敷地内からも缶コーヒーの空き缶が今までいくつも落ち葉に埋もれた形で見つかっている。
それらは、臨時雇いの草刈り人達が一服時に飲み、何気なく置いて片付けをせずにそのままになったもの。
確信をもって断言できるのは、犯人探しのようなことをしなくても、何年かに渡って周りの人たちが話してくれる多くのことから、自然に色んな状況が浮かび上がってくるから。
私はうちのガラクタの歩んだ歴史を探るプロファイラーだ。
ガラクタを片付けることなどは兄も父も祖父も自分でやることをしない当主だった。
そうして此の期に及んで私が何やかやとやっているわけだけれど、損な役回りを引き受けてしまったものだとはあまり思わないから、他人から見たら相当変なのかも知れない。
お金を掛ければそれなりに古い日本家屋としての体裁は整うはずだけれど、そのお金が無いことを良いことに、廃墟寸前の家をどれだけ長持ちさせられるか、自分の手を掛けてやるのが面白いのだから好きにさせてもらおうじゃないかと独り遊びする日々。