ヒメオドリコソウだったかな?
そう思ったけれど、これはホトケノザで、春の七草に入っているアレかと思いきや、そうではないそうだ。
春の七草のホトケノザはコオニタビラコというタンポポに似た草。
滋賀県近江八幡の農道で撮った、このホトケノザは、蓮の葉っぱに似ているから仏の座の命名は納得だ。
仏の座からひょっこりと首を伸ばしているのが、丸顔のウサギに蝶々が止まっているみたいに見える花。
こういうことを書いて印象付けないと記憶できないのだけれど、来春になったら又なんだっかかな・・と検索するのだろう。
追記;仏像の台座は蓮華座といい、蓮の花だ。それなのに葉っぱの方を連想した。蓮の葉っぱも種類によっては縁が盛り上がりホトケノザの葉っぱのようになるのがあったはず・・などと勘違いを正当化したい。
丸顔のウサギに蝶々が止まっているみたいに見える花。
そうそうそう・・・ウサギがチューインガムで風船を作っています。
野間宏が「文章入門」でこう言っていると
「日本語の作文技術」に下記が、ボクの鉛筆で囲まれている。
文章というものは、このように自分の言葉をもって対象にせまり、対象をとらえるのであるが、それが出来上がった時には、むしろ文章の方は消え、対象の方がそこにはっきりとうかびあがってくるといういようにならなければならないのである。対象の特徴そのものが、その特徴のふくんでいる力によって迫ってくるようになれば、その時、その文章はすぐれた文章といえるのである。(筆者がいくら感嘆してもなんにもならない。読者が追体験できるように再現するのです。(鉛筆で囲った自分を誉めておこう。)
たしかにそんな風にも見えますね!?
>野間宏が「文章入門」で
私はこの手の本は全く読みませんが、
一度だけ週一10回くらいの市民講座を受けたことがあります。
文章作法入門のようなもので、元新聞記者という講師が使ったテキストが、「記者ハンドブック」?でした。
とにかく基本は5W1Hというようなことでした。
私淑していた先生は、一行だけでも良いと褒められたら成功だ・・てなこと言ってました。
それに無名性ということも言ってました。
書かれたものが一人歩きするような、作者の目立たない文章が良い・・・というようなことも。
自慢話は面白くないし、一人ではしゃいでる文章は白けるばかりですよね!?
こころしたいと思います。