透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

デザインの原義

2006-11-15 | A あれこれ



池田町、松川村にて撮影

蔵の妻壁の上部には上の写真のような家紋や屋号を印した円い部分があります。名称が当然あるはずですが、知りません。調べる「ずく」がありません。
どうしてこんな○印がどの蔵にもあるんでしょう・・・。

中の写真にそのヒントがあります。小屋組みによってはこのように棟梁が妻壁から顔をのぞかせることになります。蔵の小屋組みの場合、太い丸太が棟梁に用いられます。その円い小口が妻壁から突き出ていると、前稿で書いたように腐朽しやすいのです。で、小口を左官仕上げで塞いでしまった。その部分に意匠が施されて上の写真のように次第になった、というわけです。中には抜け殻のようにこのようなデザインだけが壁に施されている場合もあります。

壁から突き出た梁の上に小さな切妻屋根を架けた写真を既に載せましたが、あれが「傘」だとするとこちらは「カッパ、レインコート」ということになるでしょうか。

さて下の写真、以前も載せましたが懸魚です(普通の民家ではあまり見かけない形ですが)。 棟木は母屋より木がらが大きいことから破風板の下にこぼれてしまいます。そこで例の「目板」で小口を塞いだのですが、次第に意匠が施されて・・・、懸魚になった、というわけです。

まとめると蔵の○印も懸魚も機能的には同じ、そう棟梁材の小口の腐朽を防ぐため、それが次第にデザインされたのだ、というのが私の見解です。

一見全く無関係に見える両者のデザインの原義は同じ(と私は思います)。

続 路上観察

2006-11-15 | A あれこれ

前稿に引き続き路上観察。


〇 野尻宿 (061114)

ここ大桑村 野尻は宿場の面影が色濃く残っています。持出し梁で2階を2尺程1階の壁より出している町屋が軒を連ねています(写真)。

さて、本題。
木材の小口が水を吸いやすく腐りやすいことについては以前も書きました。腐朽を防ぐための工夫として

「目板」(このような板の名称は目板だと記憶しています)で母屋の小口を塞いでいます。最近ではほとんど見かけることがなくなりました。たまたま路上観察で見つけました(写真 左)。先人達はこんな工夫をしたんですね。

一般的には目板の替わりに金属板(銅板やカラー鉄板など)で小口を包むことが行なわれています(写真 中)。

簡便な方法は小口を塗装することです。和風住宅の玄関の屋根の垂木などに施されているのをよく見かけます(写真 右)。

〇 JR野尻駅の近くにて (061114)

このような方法で小口を保護しています。機能的な意味が同じでも多様なデザインがあるんですね。

ところで以前 下の写真を載せました。


交叉する破風板の小口が剥き出しです。このままでは腐朽しやすいので、板で小口を塞いだのが「すずめおどり」の機能的なもともとの意味で、母屋の小口を目板で塞ぐことと同じです。それが次第に意匠的に洗練されてきたんだと思います。破風と目板というか笠木によって菱形が出来ますが、そこに格子や扇に角材を組んだんですね(下の写真)。


また、飛騨古川町の梁の小口を白く塗った印象的な民家は(以前載せました)、腐朽防止のために塗っていたものが、こちらも次第に洗練されてきたもの、と理解してよさそうです。


久しぶりの路上観察 

2006-11-15 | B 繰り返しの美学



〇 繰り返しの美学 大桑村 野尻にて (061114)

木曽方面に出かける機会がありました。少し時間があったので、そぼ降る小雨の中を路上観察しました。

街道沿いの民家の妻面。カラートタンで覆われた壁(もともとは漆喰仕上げだったと思います)から突き出た梁。何故壁から突き出ているのかは分かりませんが、その梁の端部に雨がかからないようにそれぞれ小さな「屋根」が架けられています。あ、繰り返しの美学! 面白い! そう思ってカメラを向けました。

これと同じ「屋根」は京都の清水寺の舞台を構成している梁の端部にも架かっていたと思います。もしかしたら、屋根の形状はこの写真のような切妻ではなくて片流れだったかもしれませんが。