透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「真鶴」川上弘美

2006-11-11 | A 読書日記

川上弘美の新刊『真鶴』

筒状のケース(左)とすももの絵を使用した装丁

彼女自身が今までとは違う雰囲気の装丁を希望したらしい。

変わった。もうこの小説には「ふわふわゆるゆるな川上ワールド」はない。川上弘美の作品はの~んびりと春の日差しを浴びながら読むのがいい、と思っていた。この作品は違う。肌寒い今の季節に読むのがいい。

タイトルの真鶴はもちろん実在する地名だが、この小説に出てくる真鶴はどうもそうではないように思う。川上弘美はこんな風に書いている。
**この電車は、真鶴と東京を結ぶいれものだ。わたしのからだを、まぼろしからうつしよへ、またはんたいに、今生から他生へはこんでくる、いれものだ。**
そう、真鶴はうつしよ(現し世)ではなくてまぼろしの世界だと思われる。

反対にとしないで、はんたいにとひらがな表記をしたり、句読点を多用した短い文体が意識的なものかは分からないが、独特の雰囲気を感じさせる。

主人公の京(けい)は夫の礼が失踪してから、実母と娘の百(もも)と生活している。夫の残した日記には、失踪するひと月くらい前に真鶴と書かれていた。

京は何回か真鶴に出かける。京に「ついてくる」女が登場するのだが、幻影というのか他生のひとであって、今生のひとはない。今までも川上弘美の作品には不思議な動物達が登場することがあった。それらは愛嬌のある動くぬいぐるみのよう、喩えて書けばそんな感じだが、この小説の女は少しホラーな雰囲気も漂わせている。京はこの女の存在に、はやくから気がついていて、(この小説の書き出しはこうだ。**歩いていると、ついてくるものがあった。**)やがて言葉を交わすようになる。

京は礼の安否も問うのだが、女ははっきりと答えてはくれない。

**「だいて」 礼は抱かなかった。かわりに、わたしの目をのぞきこむ。つよい視線のひとだったのに、うすく、よわく、のぞいた。「こちら、くる?」**
どうやら失踪した夫は亡くなっているようだ。

京はエッセイなどを書いている。彼女には青茲という編集者の恋人がいる。気持ちは礼と青茲との間を行き来する。他生と今生との間の行き来を暗示しているようだ。

この小説は人がこの世に存在することの意味、他の人の意識に存在することの意味を問うているのかもしれない。

やはりこれも川上弘美の世界、ということなのか・・・。