透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ブックレビュー 2020.08

2020-08-30 | A ブックレビュー

480

 8月が終わる。今年も残り4カ月。

「少年老い易く学成り難し」このことばをおふくろから時々聞かされていた。確かにそうだな。この歳になってこの警句を実感する。

さて、8月の読了本は8冊。読書は量より質だと思う。とはいえ(*1)、やはり少なくとも毎月4冊くらいは読みたい。

『作家的覚書』高村 薫(岩波新書2017年第1刷発行)
「図書」に連載されている時評を中心にまとめた1冊。



『空海』を読んだとき、「とまれ」ということばがよく使われていることに気がついていた。『作家的覚書』を、このことに注意して読んだ。やはり「とまれ」または同義の「ともあれ」、「とはいえ」(*1)ということばがよく使われている。これは話の展開の仕方の共通性を示している。誰でも同じパターンで展開することが多い。クセと言ってもいい。

また、収録されている時評は以下に挙げるように断定的に結んでいないものが多い。

**私をして日本人を生き直すよう急かしているのだろうか。**「日本人であること」
**はて、なかなか尽きるものではない欲望と物理的老いの間で、ひっそり背筋を伸ばしていられる歳の取り方はないものだろうか。**「歳の取り方」
**アメリカのように価値観の分断が生まれているのだろうか。**「二分される社会」
**正しく理解することが出来ているだろうか。**「宗教と市民社会」

**まだどこかで明るい未来の幻想を捨てられないでいるのかもしれない。**「想像もしていなかったこと」
**むしろ自然な成り行きに身を任せただけなのかもしれない。**「足下の幸せ、どこまで」
**柔軟に生きてきた祖先たちに倣うときなのかもしれない。**「大雨に思う」

読者に問いかけ、判断を促すということであればこのような結びになると思う。だが書き手の考え方、捉え方を明確に示してもらった方が私はスッキリするし、そう期待して読んだ。上掲の例なら、正しく理解することが出来ていない。先祖たちに倣うときだ。というように。時評というのはそのようなものだと私は思う。

『日本語スケッチ帳』田中章夫(岩波新書2014年第1刷発行)
**多彩な日本語の世界を存分に楽しめる一冊。**カバー折り返しの紹介文より

Ⅸ 語法と用字の諸相 で取り上げられている次の句

米洗ふ前に蛍の二つ三つ
米洗ふ前を蛍の二つ三つ
米洗ふ前へ蛍の二つ三つ

助詞の意味・用法の難しさを示す例として紹介されている句の解説を読んで、なるほど!

『桂離宮』和辻哲郎(中公文庫2011年改版)
副題に「様式の背後を探る」とあるように、この論考では桂離宮のデザインそのものをそれ程論じてはいない。だが、例えば雨落溝が直線であることについて、それが建物の構造からの必然てあり、装飾の動機に基くのではないとしながら何ページにも亘って論じている。
やはり和辻哲郎の繊細な感性による観察力と『風土』にもみられた洞察力はすごいと思う。

『坊っちゃん』夏目漱石(集英社文庫2019年第48刷)
**おれは校長の言葉を聞いて、なるほど校長だの狸だのというものは、えらい事を言うもんだと感心した。こう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎(とが)だとか、不徳だと言うくらいなら、生徒を処分するのは、やめにして、自分から先へ免職になったら、よさそうなもんだ。(後略)**(80頁)

閣僚10人が不祥事を理由に辞任した第二次内閣。首相は任命責任をとることなく、病気を理由に退陣を表明した。坊っちゃんがこの事態を知ったら怒るだろうなぁ。

『曠野から』川田順造(1980年再版)
大学の後輩から1981年3月に送られた本。

『本所おけら長屋 六』『本所おけら長屋 七』畠山健二(PHP文芸文庫)
この2巻を続けて読んだ。シリーズ累計100万部突破というのも頷ける。涙あり、笑いありの人情噺。現在12巻か13巻まで出ている。この際、全巻読もう。

『かくれた次元』エドワード・ホール(みすず書房1976年第11刷)
密接距離、個体距離、社会距離、公衆距離。文化的特質の違いがこれらの距離に現れる。コロナ禍で使われるようになったsocial  distance、社会(的)距離。このことばでこの本を思い出し、再読した。


 


「本所おけら長屋 七」(C2)

2020-08-30 | A 読書日記

320

 『本所おけら長屋 七』を読んだ。第1巻からこの7巻までに収められている作品のタイトルは全て4文字(おそらく全巻すべて4文字だろう)。これは作者・畠山健二さんのこだわりというか、お遊び。

おけら長屋の住人は、あたたかい心の持ち主ばかり。いつも助け合って暮らしている。こんな長屋に住みたいという感想を何かで読んだ記憶がある。

第7巻には5篇の作品が収められているが、「ひだまり」には泣かされた。

**「お歳さん、わかりますか。玄志郎です。いま長崎から戻りました」
お歳は、小さく頷くと、布団から右手を出した。その動作は悲しいほどにゆっくりとしていた。玄志郎はお歳の痩せ細った右手を、両手で握り締めた。(中略)
「はい。私は頑張りましたよ。どうして頑張ったかわかりますか。立派な医者になって、お歳さんと一緒に暮らしたかったからです。お歳さんを身請けするお金も用意しました。だから、私と一緒に暮らしましょう」**(中略)
**「そう言ってもらえただけで、思い残すことはありません。よ、よかった。玄志郎さんに会うことができて・・・」(108,9頁)

お歳は労咳(肺結核)に侵されていた・・・。

玄志郎(後の聖庵)の父はある藩に仕える医者だった。藩主の跡取りが4歳になった時、病魔(危険な伝染病)に襲われ、死亡してしまう・・・。跡取りを救えなかったとして、父は藩主の刀によって命を絶たれてしまう。その後、母親と江戸に出た玄志郎は医者を志し、父親の知り合いだった医者が営む治療院で働くことになる。だが無給だったために、母親が身を粉にして働く。息子を長崎に留学させたいと考えていたのだ。留学には三十両もの大金が要る。ところが母親は過労がたたり・・・。

治療院には玄志郎と同じく、無休で働く住み込みの女中がいた。名前はお歳。

**「ちょっと待ってください。このお金はどうやってこしらえたんですか。お歳さんはどこに行ったんですか。お重さん、教えてください。**(中略)
**「玄志郎さん。あんただってもう子供じゃないだろう。身ひとつの女が三十両もの大金を作るとなりゃ、察しがつくはずだ」**(100頁)

涙もろい私がこんな切ない物語を読めば泣く。