和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

暴威を揮つたジャーナリズム

2025-02-16 | 先達たち
昨日は、はじめての歯医者へ。
通い慣れた歯医者さんが、やめてしまい。
結局近場の別の歯医者さんへ行くことに。
それから、週4回ほど開く画廊へ、
こちらは、都会の画廊を畳んで、移り住んだ方です。
明治時代にアメリカに渡った女性に関する企画展ということで、
資料を購入して帰る。

さてっと、関係ない人が結びつくというのは、面白いですね。
たとえば、内村鑑三を通じて山本七平と小林秀雄が結びつく。
そういう共通項を通じて、パラパラとひらいて読める楽しみ。

正宗白鳥著「内村鑑三・わが生涯と文学」(講談社文芸文庫・1994年)
小林秀雄著「白鳥・宣長・言葉」(文藝春秋・昭和58年)
山本七平著「小林秀雄の流儀」(新潮社・昭和61年)

まあ、結びつきは、おいといて、ここには
小林秀雄の「正宗白鳥の作について」から
当時のジャーナリズム問題をとりあげている箇所を引用しておきます。

「 ところで、内村に『基督教徒の慰』を書かせた切つ掛けになったものは、
  何であつたか。周知の如く、当時『内村不敬事件』として大騒ぎになつ
  た事件である。正宗氏の観察によれば、この際、暴威を揮つたのは
  ジャーナリズムの動きであつた。第一高等中学校での教育勅語拝読の
  式場に於ける教員内村鑑三の不遜と見られた態度が、
  本願寺系統の雑誌に、針小棒大に書き立てられ、これが
  諸新聞雑誌に転載されて、騒ぎは大きくなつた。

  事の真相を顧みぬ軽薄な言論の勢ひが、
  内村の一生の運命を決めて了つたのである。
  内村は職を失ひ、国賊の家は、学生達の投石を受け、
  近親の人達も世間を憚つて、彼を離れた。
  周囲の迫害に悩まされて発病した内村を看護する者は、
  母親と事件の数ケ月前に結婚した夫人だけといふ有様となつたが、
  夫人も心労に堪へず逝去した。
  世論は、内村の私一個の事件を、
  基督教対国家皇族といふ一般的事件に造り上げ、
  内村の生活を急襲したが、身方の筈の基督教徒も、
  内村は政府当局と妥協した恥知らずといふ
  主張を造り上げて敵に廻つた。   」
            ( p47 小林秀雄著「白鳥・宣長・言葉」 )
コメント
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