「暮しの手帖」といえば、花森安治。
そして「聖書之研究」が、内村鑑三。
どちらも、雑誌に広告を出しておりませんでした。
講談社学術文庫の「内村鑑三文明評論集」1~4巻には、
その各巻ごとに、山本七平の序が載っております。
その「第二巻の序」に興味深い箇所がありました。
『本誌の為さざること』の中に、次のように規定している。
商売人に広告を依頼しない、
名士に寄書を乞わない、
人に寄付金を乞わない、
人の著書を批評しない、
人物評を掲げない、
主筆の精読を経ざる文章を掲げない、
人に購読を進めない、
誠実の存するあれば文章をかまわない。
ところで、この本のはじまりには、山本七平による
『 内村鑑三と「 聖書之研究 」 』という文がありました。
今回の最後には、そこから引用させていただきます。
「 彼(内村)はなんぴとにも顧慮せず、一切の気兼なく発言できた。
そしてこれを支えたものが、自らが経営し経済的に自立し立派に
採算に乗っていた『聖書之研究』誌であった。
ここが、世俗を超越しているようなジェスチュアをしつつ、
実際は世俗に寄食していた人びとの発言と違う点である。
そしてこの基盤を維持しつづけたという点で彼は、
一事業者としても凡人ではない。40歳で、徒手空拳、
無資本で独力で何の背景もなく、常識では現在ですら
採算が乗り得ないはずのこの特異な雑誌を創刊し、
爾後約30年、通算357号、その死に至るまで立派に発行しつづけ、
その間ただの一度も経営的危機に見舞われていない。
そしてこの経営によって社員を養い、自らと家族の生活を支え、
・・・・・・・
一銭の寄付を求めず、ミッションの援助もなく、
しかも30年間、印刷所への支払い日と入校日を
一日もたがえたことがないという実績は、
その堅実さを物語っている。
私が彼を世俗の人としても決して破綻者でなく
むしろ成功者であったと記したのは、以上の意味である。
そしてこれが、彼の社会への批評が生きた批評であり同時に、
すべての『 現実に日本という社会に生きている者 』にとっては、
その現実の姿を的確に論評しつくしたという点で、
一つの指標となり得る批評である。・・・ 」
( p4~5 山本七平編「内村鑑三評論集 勝利の生涯」上巻・山本書店)