和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「暮しの手帖」と「聖書之研究」

2025-02-17 | 本棚並べ
「暮しの手帖」といえば、花森安治。
そして「聖書之研究」が、内村鑑三。
どちらも、雑誌に広告を出しておりませんでした。

講談社学術文庫の「内村鑑三文明評論集」1~4巻には、
その各巻ごとに、山本七平の序が載っております。
その「第二巻の序」に興味深い箇所がありました。

『本誌の為さざること』の中に、次のように規定している。

    商売人に広告を依頼しない、
    名士に寄書を乞わない、
    人に寄付金を乞わない、
    人の著書を批評しない、
    人物評を掲げない、
    主筆の精読を経ざる文章を掲げない、
    人に購読を進めない、
    誠実の存するあれば文章をかまわない。


ところで、この本のはじまりには、山本七平による
『 内村鑑三と「 聖書之研究 」 』という文がありました。
今回の最後には、そこから引用させていただきます。

「 彼(内村)はなんぴとにも顧慮せず、一切の気兼なく発言できた。
  そしてこれを支えたものが、自らが経営し経済的に自立し立派に
  採算に乗っていた『聖書之研究』誌であった。
  ここが、世俗を超越しているようなジェスチュアをしつつ、
  実際は世俗に寄食していた人びとの発言と違う点である。
  
  そしてこの基盤を維持しつづけたという点で彼は、
  一事業者としても凡人ではない。40歳で、徒手空拳、
  無資本で独力で何の背景もなく、常識では現在ですら
  採算が乗り得ないはずのこの特異な雑誌を創刊し、
  爾後約30年、通算357号、その死に至るまで立派に発行しつづけ、
  その間ただの一度も経営的危機に見舞われていない。
  そしてこの経営によって社員を養い、自らと家族の生活を支え、
  ・・・・・・・

  一銭の寄付を求めず、ミッションの援助もなく、
  しかも30年間、印刷所への支払い日と入校日を
  一日もたがえたことがないという実績は、
  その堅実さを物語っている。
  私が彼を世俗の人としても決して破綻者でなく
  むしろ成功者であったと記したのは、以上の意味である。

  そしてこれが、彼の社会への批評が生きた批評であり同時に、
  すべての『 現実に日本という社会に生きている者 』にとっては、
  その現実の姿を的確に論評しつくしたという点で、
  一つの指標となり得る批評である。・・・   」
  ( p4~5 山本七平編「内村鑑三評論集 勝利の生涯」上巻・山本書店)
  

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