和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

煙花三月。

2009-03-08 | 詩歌
一海知義(いっかいともよし)氏の指摘にこうあります。

「ほとんどの日本人がよく知っている漢詩の詩句を挙げれば、まず第一に『国破れて山河在り』(杜甫「春望」)、そして『春眠暁を覚えず』(孟浩然「春暁」)・・・」(p38「漢詩入門」岩波ジュニア新書)とあります。第二番目に「春眠あかつきを覚えず」がある。

さてっと、宇野直人・江原正士著「李白 巨大なる野放図」(平凡社)をめくっていたら、その孟浩然が出てきました。李白よりも孟浩然は十年ちょっと年上の大詩人。「李白はたいへん尊敬していたようです」(p102)と宇野氏が語っております。興味深いので、もうすこし宇野氏の語る孟浩然を引用しておきます。

「ユニークな人で、科挙(公務員試験)に合格しなかったので、官職につけなかったんです。それで一生、放浪隠居の生活を繰り返しました。ただ、詩の才能がたいへん有名で、名士として交友関係は広かったんです。『春眠、暁を覚えず』で知られる『春暁』という詩を作った人です。昔の中国では役人は朝が早く、星が見えるうちから役所に行かなくてはいけません。でも孟浩然は仕事がないので、暁を覚えず、日が昇っても寝ていられたわけです。・・悲しい詩が多いです。」

その孟浩然を、李白は詩にしておりました。ここでは宇野直人氏の本にはないのですが、武部利男訳をもってきます。

  「黄鶴楼(こうかくろう)で孟浩然が広陵にゆくのを送る」と題された詩です。

  友人は西のかた黄鶴楼にわかれをつげ
  かすみ立つ三月 陽州へと下ってゆく
  たった一つの船の帆があおい山のかなたに消え
  あとにはただ長江が空のはてに流れてゆくのみ

ところで、話しはかわるのですが、李白の詩「静夜思」は、一海氏によれば日本で何番目ぐらいによく知られているのでしょうか。次にその「静夜思」を、これもまた武部利男訳で引用してみます。

   静かな夜の思い

  寝台の前にさしこんでくる月の光を
  ふと地におりた霜かとおもった
  頭をあげては山の端の月をながめ
  頭をたれてはふるさとのことを思った

ここは、宇野直人氏と江原正士氏との対話を引用してみたいところです。

【宇野】・・前半後半に分けますと、前半は描写で、月がメインです。・・月の光、霜、明るいんですね。
【江原】イメージがわぁーっと湧いてくる、すごくきれいな表現ですね。
【宇野】それを受けて後半、気持ちの描写に移ります。悲しい気持ちです。床にさしている月の光のもとをたどって李白はだんだん視線を上げます。すると窓の外に山があり、そこに月がかかっているのを見つけた。『顔を上げて遠くの山にかかる月を眺め』、故郷の峨眉山の月を思い出したんですかね。そして悲しくなって、だんだん視線が下がってゆく、『それから私はうつむいて、故郷を懐かしむ気持ちに沈んでしまった』。
【江原】望郷の念がすごく強いんですが、気持ちも鬱ですね。『地上の霜』というたとえがすごく美しいなと感じたのですが、こういう表現は漢詩にたくさんあるのですか。
【宇野】李白の特色だと思います。月の光が満ち溢れる透明さや明るさを述べ、その後でなにか悲しい気持ちを述べるパターンが、これからいくつも出て来ます。
【江原】ということは、李白にとっては月の光は悲しみ・・・。希望や明るさ、ロマンチックなほうには行かないんですね。どちらかと言えば、テンションの下がった気持ちを代弁していると。
【宇野】そのような傾向が強いですね、悲しみを誘い出すと言いますか。月はすべての人が同じように見ますから、月を見ると、「遠くにいる親しい人もこれを見ているんだろうな」と悲しい気持ちになりがちです。あと、一つ異説がありまして、一句めの「牀前(しょうぜん)」を「寝台」と訳しましたが、「屋外の井戸端」ととる説もあります。その場合、李白は夜中に外に出ていることになります。眠れなくて外に出ている。そうすると、一層辛そうな、悲しそうな気持ちが強調されます。
【江原】夜眠れなくて、つい外に出てしまうという、そっちのほうが悲しいですね。ストレスが相当ありそうな。就職活動がまだうまくいっていないのがよくわかります。(p100~101)


この本「李白」は、対話形式で詩が紹介されてゆきます。
おもわず、漢詩が息づいてくるような対話になっております。
そういうときは、「デパ地下の試食」よろしく、一口味わってみる。そして試食は、ついつい、もう一口。引用したくなります。

【宇野】・・ところが李白の不思議の一つなのですが、彼の伝記をいくら探しても科挙の受験した形跡がないんです。
【江原】でも後に登用されていますよね。
【宇野】ええ。能力のある人は試験を通過せず、推薦によって登用される場合もあって、李白はそれに該当するんです。・・・李白は自分の才能に絶大な自信があったので、あえて科挙を受けずに推薦のルートで職につこうと決意を固めていたという説があります。
【江原】それでずっと運動して来たんですか。でもことごとく失敗していますよね。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・
【宇野】・・・また別のところに、酒癖の悪い者は官僚になれないという項目があるんです。
【江原】ははは、先生、李白はどうだったんでしょうか。
【宇野】悪かったでしょうね。・・
あとで長安を追放されてますしね。李白の酒癖が悪くて、酔った勢いで玄宗皇帝の側近に「俺の靴を脱がせろ」と言って脱がせた、それを根に持った側近が玄宗皇帝に告げ口をしたせいだと言われています。
【江原】酒癖が悪いとだめというのは、今も同じですけどね。
【宇野】そうですね。でも才能さえあれば採用されますから、やはり抜け道はあるでしょう。(p121~123)



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