和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

震災五年目の甘さ。

2016-03-09 | 産経新聞
曽野綾子氏が
産経新聞に連載している「透明な歳月の光」。
その3月2日と3月9日が
震災から五年の報道の仕方に対し、
緊張感を吹きこんでくれております。

うん。産経新聞を購読されていない方のために
すこし3月9日から紹介しておきましょう。

「震災アンケートに思う」となっております。

「私は学生時代から『アンケート』というものが
嫌いだった。」とはじまります。

文の半分から後を引用してみます。

「つい最近見た、震災5年のアンケートの中には、
やはり人間の心理に対して詰めが甘いと思うものも
残存していた。トップに上げられているのは、
復興が『予想より早いか』から『何年遅れているか』
という設問である。しかし『予想』なるものの
基準がないから、『自分の思い込みより』早いか
遅いかで、随分結果が違う。地元の人たちでさえ
『想定外』と言った規模の災害に対して、
どれだけで復興するか、そもそも正確に予想できる人
は少なかったはずだ。
地震後1年半たってもまだ壊れたコンクリートの
巨大な破片がぶら下がったままの廃虚に住んでいた
ハイチの人たちの暮らしを知っている者は、
日本だって災害後、数年はまだ廃虚のまま、
幹線道路も切れたままだろうと思いかねないから、
今の状態を『予想より早い』と思ったかもしれない。」

うん。後半は全部引用しちゃいましょう。

「かつての住まいに戻らない、という被災者たちの
一番多い理由は、『放射線が気になる』である。
しかしそのグループの人たちに対しての
『除染で放射線量が下がれば、意思は変わるか』
という設問には、『線量が下がっても戻らない』
が実に67%にも及んでいる。
再建の資金がないことや、人間関係が変わって
しまったことが『帰郷』の意志をくじく理由にも
なっているだろうが、実は人間はそれくらいの
大きな災難には、生涯に一度や二度は遭うもの
なのである。
むしろ若い人たちには、人生はいかに備えても、
必ずこの程度の大きな危機には遭う、という
当然の運命を、義務教育のうちからしっかり教えて、
それに耐える精神を作ることが社会と文科省の義務だろう。」

うん。そういえば、こんな調子で、
震災直後から、曽野綾子さんの言葉が響いておりました。
たとえば曽野綾子著「揺れる大地に立って」(扶桑社)
副題は「東日本大震災の個人的記録」とありました。
その本が思い浮かびます。
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