和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

すぐれた紀行文。

2016-07-02 | 古典
宮本常一著「旅人たちの歴史1 野田泉光院」(未来社)。
そのはじまりは「江戸の旅人たち」という
6ページほどの文でした。

はい。私の読書は遅々としてます(笑)

「芭蕉以前の日本の紀行文というのは、
およそおもしろくない。なぜかというと、
紀行文が文学として扱われているから
きれいごとに終ってしまう。
きれいごとというのは、そこに嘘が入るんです。
・・・そういう紀行文は本来ノンフィクションで
なければならないのに嘘が入って来る。
日本のものは、ほとんどがそうなんです。」(p10)

そして、最後には
「一遍聖絵」が登場しておりました。

「それから、紀行文は残さなかったが
死んだ後にその足跡を追ってまとめた『一遍聖絵』。
これは一遍上人が歩いた後を弟の聖戒が、
一遍がどんなに歩いたか、旅先で何をしたかを
見るために、円伊という絵師を連れて、
兄が死んで10年ほど経った後、
一遍の歩いた道を歩いて、舞台をちゃんと決定して、
そこにある建物などは、そっくりそのまま写生をして、
そこに兄が布教をした姿を描いたものです。
これは紀行文と見てよいと思うのです。
他のもののように作りごとではなくなって、
そういう場がそこにあったと見てよいと思う。
そういう点では、絵が描かれていることで、
これを紀行文の中に入れるなら、
これに過ぎるすぐれた紀行文はないわけです。
というのは、絵そのものが見事な写実で
描かれているんです。
日本の絵は写実が少ないのだが、
この絵だけはどの部分をとっても、
そのまま今日の学問の資料になるほど正確なのです。」


さあ、これからゆっくりですが、
読みはじめます。

数日前に、貰った鶏頭が
テレビの脇の花瓶に挿してあります。
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