鶴見俊輔著「文章心得帖」(潮出版社)に
こんな箇所がありました。
「全体として考えてみて、
この人の文章がうまいと私が思っているのは、
花田清輝、竹内好、梅棹忠夫。
私より若い人でいえば山田慶児、多田道太郎の
文章には感心します。・・・」(p14)
う~ん。読んだことのない人ばかりならびます(笑)。
でも、梅棹忠夫の名前がある。
そうえば、加藤秀俊著「わが師わが友」に、
鶴見俊輔氏が加藤氏に梅棹忠夫を紹介する場面が
描かれておりました。そこを引用。
「鶴見さんは、ほとんどわたしと入れかわりに
東京工大に移られたから、いっしょにいた期間は
きわめて短かったが、そのあいだに、わたしに、
ぜひいちど梅棹忠夫という人に会いなさい、
と熱心にすすめられた。鶴見さんによると、
梅棹さんという人は、じぶんで金槌やカンナを使って
簡単な建具などさっさとつくってしまう人だ、
あんな実践力のある人は、めったにいるものではない、
というのであった。まことに失礼なようだが、
鶴見さんは、およそ生活技術についてはいっこうに無頓着、
かつ不器用な人だから、鶴見さんからみると、
大工道具を使うことができる、ということだけで
梅棹さんを評価なさっているのではないか、
ずいぶん珍奇な評価だ、とわたしはおもった。
金槌やカンナくらい、誰だって使える。
大工道具を使えない鶴見さんのほうが、
率直にいって例外的だったのである。」(p80)
大工道具といえば、
わたしが中学生の頃には、
技術家庭科というのがあって、
木片でなにやら、椅子や本立てなどをつくらされた
記憶があります。現在の中学生の科目には、
そんなのは、あるのでしょうか?
台風15号で家の屋根が部分的に飛ばされた際に、
すこしたってから、大工さんが来て、飛ばされた屋根を
作り直してくれました。忙しいらしく、最初は一人で
大工さんが作業をはじめておりました。業者が、
ベニヤとか角材とか持ってくると屋根にあがっている
大工さんは、上にあげてくれるように指示する。
なんせ、大工さんは一人。業者は早く帰りたいらしい。
うん。見ていた私はといえば、運ぶだけならと業者さんから
手渡されるハシゴからの材料を二階で受け取りました。
つぎは、屋根に移動するのも手伝う。
はい。ベランダがありますから、ラクラクです。
いまは、充電の丸鋸で、サッササッサと角材やら
ベニヤやらを切ってゆきます。圧縮空気の機械でしょうか。
釘を打つのもポンポンと作業効率がはかどります。
屋根はトタンなのですが、それはトタン屋さんが
来てからということで、その前までの防水シートを
張る作業までが完成するのに、1~2日で完了。
屋根の軒のペンキは、どうしますか。
と言われたので、自分でやりますと答え、
ちょっとの部分をペンキ塗りですごしました。
ちょっと、こういう作業をしていると、
大工さんが使っていた充電式丸鋸が気になる。
ほしそうな顔をして見ていたせいか。
大工さんは、これ便利なんだよなあという。
なんせ、屋根にのぼっての作業に、その場で
てきぱきと角材や、ベニヤを切ってサイズにあわせてゆく。
はい。わたしは一週間くらい、思い悩んで、
充電式丸鋸を買いました。
大工さんとトタン屋さんとが屋根の修復を終え、次の現場へと
移動してから、何週間かして、私は、ベランダの柵が飛ばされた
その箇所の、雨漏り防止に、蓋をかぶせることにきめて、
ベニヤや角材でもって、ひとり作業をはじめました。
そこでは、充電式丸鋸が活躍しました(笑)。
それもこれも、中学生の時、技術家庭科で、
木工作業をしたおかげかもしれないなあ。
もどって、加藤秀俊著「わが師わが友」のつづき。
「・・それと前後して、わたしは雑誌『思想の科学』(1954年5月号)
に梅棹さんの書かれた『アマチュア思想家宣言』というエッセイを
読んで、頭をガクンとなぐられたような気がした。・・・・
わたしは梅棹さんの文体に惹かれた。この人の文章は、
まず誰にでもわかるような平易なことばで書かれている。
第二に、その文章はきわめて新鮮な思考を展開させている。
そして、その説得力たるやおそるべきものがある。
ひとことでいえば、スキがないのである。
これにはおどろいた。いちど、こんな文章を書く人に会いたい、
とわたしはおもった。たぶん、鶴見さんが日曜大工をひきあいに
出されたのは、鶴見流の比喩であるらしいことも、
『アマチュア思想家宣言』を読んだことでわかった。」(p80~81)
はい。『アマチュア思想家宣言』に
どのようなことが書かれていたのか、
私は、もうすっかり忘れてしまっております。
「日曜大工をひきあいに出されたのは、
鶴見流の比喩であるらしい・・・」とはどんなことなのか。
もう一度、あらためて読み返してみなくちゃね(笑)。