和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

お地蔵さん。

2019-11-30 | 京都
そういえば、
門田隆将著「死の淵を見た男」(PHP)を思い浮かべました。
副題は『吉田昌郎と福島第一原発の500日』とある。
第22章に、「地面から湧いて出る地涌菩薩」の話が
でてきて、一読忘れられない箇所としてありました。
そこを、読み直そうとして、本棚から取り出してくると、
その記述の近辺に、こんな箇所があった。

吉田氏の奥さんのコメントのようです。

「若い頃から宗教書を読み漁り、禅宗の
道元の手になる『正法眼蔵』を座右の書にしていた。
あの免震重要棟にすら、その書を持ち込んでいたほどだ。
生と死 ーーー 夫は、お寺まわりが趣味で、・・・・・・
そう考えると、あの事故に夫が立ち向かったのも、
それが『運命』だったような気がしてならないのである。」

う~ん。地涌菩薩については、この本を読んだころに、
どういうわけか家に、キリスト教の布教の女の方が
お二人で回られていて来たのでした。
うん。その時に、キリスト教のことを語られるのを聞いていたら、
読んだばかりの法華経の中に登場する地涌菩薩のことが
気になって、その地涌菩薩のことを、
こちらから反対に話しかけておりました。
それ以来でしょうか。機会があったら法華経も読んでみたい。
そして正法眼蔵も読まなければと漠然と思い描いたのは(笑)。

けれども、正法眼蔵も、各章の解説だけ読んで、
それっきり、本棚に鎮座しております(笑)。

それはそうと、今回はお地蔵さん。

河野仁昭著「京ことばの知恵」(光村推古書院・2002年)。
この本のはじまりは「お地蔵さんがいてくれてはる」と題して
3ページの文でした。そこをはじめから引用。

「テレビが祇園界隈を映しているので観ていたら、
地蔵さんの祠に花を供えていた年配の女将さんが、

『ここだけやおへんえ、どこの町内にも
お地蔵さんがいてくれてはって、
町内を守っとくれやすんどっせ』といった。

いい光景だったし、
『お地蔵さんがいてくれてはる』というのが、
いかにも京都であった。
『はる』はいうまでもなく、
軽い意味にもせよ敬意の表現である。
しかも、たんに『いてはる』ではなくて、
『いてくれてはる』つまり『居て下さっている』のだ。

『わたしとこ、ほん近くに小児科の
お医者さんがいてくれてはるさかい、助かりますねん』
というのと、ほとんど変わりがない。

地蔵の人間化はなにも京都だけのことではないし、
いまにはじまったことでもない。
おそらく仏教の諸仏の中で、町衆ひいては民衆に、
地蔵菩薩ほど身近で親しい存在はないだろう。

しかも京都では各町ごとに祠を造って
地蔵さんを祀っている。
祠には供花が絶えないのである。
こんな街は全国どこにもないのではないか。
『平安の都』は、反面『不安の都』であり、
災いが絶えなかったことの証かもしれない。
・・・・・」(p10~11)

短いので全文引用したくなるのですが、
ここまでにします。

この本の「あとがき」のはじまりも紹介。

「光村推古書院から、京ことばの本を書かないか
といわれたとき、わたしは当惑した。
本気でいわれているとも思えなかった。

『年寄りをからかわんといて下さい、
ぼくは生まれも育ちも四国でっせ』
と、わたしはいったと思う。
編集者の西山さんは根っからの京都人だ。
『だから書いてほしいんですがな』と、
彼は真顔になった、
『他府県から出てきて長年京都に住んではる人が、
京ことばをどう思ってきはったか、いまどう思ってはるか、
それを書いてほしいんです』。・・・・」

はい。あとがきは、このように、はじまっておりました。






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