和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

いわゆる花鳥風月。

2020-06-06 | 京都
「千年の息吹き 京の歴史群像」(京都新聞社)全3巻。
その上巻の上田正昭氏の4頁ほどの文が印象深く、
考えさせられます。
はい、宗教というと、神道・仏教などが思い浮かぶのですが、
この上田氏の文にこんな箇所があるのでした。

「京都をおとずれる外国の友人たちが、
二条城などの障壁画を鑑賞して、
安土・桃山時代は日本のルネサンスではないかと
私にいう。・・・・・・

いわゆる花鳥風月が画題の中心になり、
宗教的いろあいは、安土・桃山時代以後になると、
比較的に少なくなる。巨松に鷲の構図などを実見しての
感想だが、安土・桃山時代以前の美術・工芸の世界では
宗教とりわけ仏教の色彩が濃厚であった。

京の歴史群像にあっても、近世以前で
高僧・名僧や尼僧が他の時代にくらべてかなり多い。
京都の社寺文化の密度は他の都市にくらべてはるかに高い。
・・・・」(p19)

うん。ここに指摘される
「いわゆる花鳥風月が画題の中心になり、
宗教的いろあいは・・・・比較的少なくなる。」

うん。わたしはこれだけでも満腹になります。
でも、本文は読まない(笑)。
本は買えども、本を読まない、
まったく、飽きっぽい性格です。
もどって、この4頁の文のなかには
こんな箇所もありました。

「京都の歴史と文化は多様であって、
その実相には重層性がみなぎる。
公家の文化のほか町衆の文化、武家の文化、
社寺の文化、そして差別と被差別の文化相が
その重層性に内包されている。

京都はけっして『平安』の都ではなかった。
そのうちがわには治承・壽永の内乱、應仁・文明の大乱、
あるいは元治元年七月の禁門の変をはじめとする争乱があり、
また、たびたびの疫病や飢餓などにも見舞われた。
戦火そして天災・人災のなかで、京都の伝統が構築され、
その再生というよりも京の創生が積み重ねられてきた。
『非平安』の都なるが故の伝統と創造の軌跡が躍動するのである。」

はい。こうした京都のなかに隠れている神道をさがしてみたい。
はい。安い古本のなかに、みつかりますように。
うん。目標ができれば、楽しみもふえます。
何をいっているのやら(笑)。

うん。ここでは安土・桃山時代以後の
宗教色が少ない、「いわゆる花鳥風月」という画題
ということを、指摘されていて忘れがたい。

はい。GOOブログでもって
花や鳥や月などを拝見できるうれしさ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする