和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

六十の手習。

2020-06-22 | 道しるべ
白洲正子著「私の百人一首」(新潮選書)を出してくる。
なかなかに思い出せない一首を知るためでした(笑)。
そうすると、
この本の「序にかえて」は題して「六十の手習」とあります。
うん。はじまりを引用。

「昔、私の友人が、こういうことをいったのを覚えている。
ーー 六十の手習とは、
六十歳に達して、新しくものをはじめることではない。
若い時から手がけて来たことを、老年になって、
最初からやり直すことをいうのだと。・・・」

そのあとに、かるたの話になります。

「かるたをとるということと、百人一首を観賞する
ことは、ぜんぜん別の行為なのだ。」

そして、京都の骨董屋とカルタの話になります。

「・・数年前、京都の骨董屋でみつけたもので、
箱に『浄行院様御遺物』と記してあり、公卿の家に
伝わるものらしい。くわしいことは忘れたが、
元禄年間の作で、当時の公卿は生計のために、
かるたを作ることを内職にしたという。
これもそういうものの一つだったに違いない。

読札には奈良絵のような素撲な絵と、上の句が書いてあり、
取札には浅黄地に金で霞をひいた上に、下の句を書き、
裏には金箔が押してある。
カルタという名が示すとおり、元亀・天正の頃、
外国から渡来したカードの形の中に、
平安時代以来の歌仙絵と仮名の美しさを活かすことが
出来たのは、色紙の伝統によるといえるであろう。

たとえ身すぎのためとはいえ、これを造った人々が、
どんなに祖先の生活をなつかしく憶い、
新しい形式の上に再現することをたのしんだか、
眺めているとわかるような気がする。・・・」


はい。こうして8頁の文がはじまっておりました。ちなみに、
本の始まりのページは、その百人一首かるたのカラー写真。

それはそうと、この本のあとがきの最後に、
昭和51年秋とあります。白洲正子年譜には

1970年(昭和45)60歳銀座の『こうげい』を知人に譲り・・
       61歳 『かくれ里』刊行
       64歳 『近江山河抄』刊行
       65歳 『十一面観音巡礼』
そして
1976年(昭和51)66歳 『私の百人一首』刊行

コメント
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