古本ですがアーサー・ボストン著
「日本人は鰯(いわし)の群れ」(光人社・2001年)。
原題は『The Japanese as a School of Sardines』。
未読なので、パラリとひらくとこんな箇所。
「あの文化大革命の最中も、毛沢東万歳、林彪万歳、江青万歳
報道になったのです。残念なことに、多くの日本人があの時代、
日本の新聞がどのような報道を続けていたか、今ではまったく
覚えていないし、新聞社のほうも反省の色さえない。自覚もない
・・・
新聞社の側からすれば、中国に(正確に言えば中国共産党に)
都合の悪い報道をすれば、すぐに特派員を追い返されるという
ハンデがありましたが、フランスのAFPのように追い返されても
追い返されても、次々に人を代えて送り込んだのとは姿勢が違います。
私は何度も北京で、日本の特派員と話をしました。そのころは
一社を除き各社がひとりずつしか駐在を認められていませんでした。
ひとりで広い中国をカバーすることはとてもできませんから、
ほとんどの特派員は、『人民日報』を読んで、
それをそのまま東京の本社に送っていただけです。
私は言いました。
『あなたたちが送ってくる日本の新聞だけを読んでいると、
まったく中国がいいことずくめにしか見えませんよ。
これは日本人に大いなる誤解を与えています』
『いや、悪いことは書けない。われわれは少しは
中国の実態はわかっていたのだけれど、
追い返されるから書けなかった。書いても
東京の本社で書き換えられたり、削られてしまう』
と、文革の直後、ある特派員は言いました。
ここに日本の新聞社の本質的欠陥があるのです。」
(p38~39)
歴史は繰り返され、新聞とその申し子のテレビ報道は、
2020年の現代では、どうなのか?
『これは日本人に大いなる誤解を与えています』
という著者アーサー・ボストンさんのメッセージは、
この本から19年たった現代にも響いてきております。
原著の題名には、鰯の学校とありました(笑)。
思い浮かぶのは、童謡『めだかの学校』です。
「めだか」を「いわし」に替えて、童謡の二番を
唄ってみる。
鰯の学校の 鰯たち
だれが生徒か 先生か
だれが生徒か 先生か
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