和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

こんなもの書きよるね。

2021-05-01 | 枝葉末節
そういえば、山本善行著「古本泣き笑い日記」(青弓社・2002年)に
加藤一雄氏をとりあげた箇所(p128~137)があり印象に残ってます。

杉本秀太郎著「パリの電球」(岩波書店・1990年)
杉本秀太郎著「絵草子」(創樹社・1986年)

この2冊の目次を見たら、その加藤一雄の名前がありました。
ここでは、「パリの電球」から「西国記 富士正晴と加藤一雄」を
とりあげてみます。

ちなみに、富士正晴は、伊東静雄との接点がありました。
「苛烈な夢 伊藤静雄の詩の世界と生涯」は、
林富士馬と富士正晴共著で教養文庫(昭和47年)から出ており、
文庫の最後に年譜が載っておりまして、
その年譜をめくっていると、富士と伊東の関係がわかります。

昭和10年『わがひとに与ふる哀歌』を刊行。
11月20日前後。富士正晴を訪問、相識る。
詩稿「孔雀の哀しみ」を富士に献ずる。以後生涯に渉る交遊始まる。

とあるので、富士正晴氏が年譜にかかわっていたのでしょうね。
後ちょっと、この文庫の年譜から引用すると

昭和19年5月17日。三島由紀夫、伊東を住吉中学に訪問。
折から入隊中の富士正晴も休暇で帰省。
伊東と「花ざかりの森」をめぐって歓談。

昭和21年5月。富士正晴、復員。突然住中に伊東を訪問、
伊東を喜ばせる。

昭和28年3月12日午後7時42分逝く。享年46歳。

そういえば、富士正晴に「数え五十三になった」と
はじまりる詩があります。そのなかに
「数え五十三になった
 知っている詩人は もっと早くて死んだ
 死に競争で負けてしまった」
という箇所があったのでした。
うん。「知っている詩人」とは、
富士正晴氏には、竹内勝太郎はじめ、
いろいろとおられたのかもなあと思います。


はい。これくらいにして、加藤一雄と富士正晴はというと、
加藤一雄著作集「京都画壇周辺」(用美社・1984年)の
本のはじまりに、富士正晴が書いておりました。
そのはじまりは、

「わたしが加藤一雄さんと知り合ったのは、
多分昭和16年、加藤さんが数え年37歳、わたしが29歳であり、
彼は著者、わたしは弘文堂書房の編集者であった。・・・」

うん。ここまでにして、杉本秀太郎氏の随想へともどります。
杉本氏は、加藤一雄について語るのに、ご自身を語ってます。

「私は加藤一雄という人に会ったことがない。
富士さんに頼めば、簡単に紹介してもらえたはずだが、
私は頼まなかった。作品を読み、文章に感心していてのち、
その人に会って面くらったり、鼻白んだりして、
いっそ会わねばよかったに、と思うことがある。

そんな思いをするかせぬかは、会ってみないと
わからないことである。私にはこの面の冒険心が
とぼしい。・・・陰々滅々、呵々。」
(p87「パリの電球」)

さて、この文で富士さんがスクラップブックの棚から
取り出し杉本氏へと渡す場面が印象に残ります。

「渡されたものを何かと見れば、雑誌から切り取って
とじ合わせたものに富士さん手製の表紙が付き、
太い字で墨黒々と『加藤一雄・無名の南画家』と
しるした題箋が貼りつけられていた。

『これは、お前が読んだら、きっとおもしろいわ。
加藤一雄いうたらな、へいちゃらでこんなもの書きよるね。
これだけ冴えた小説書けるやつ、ほかにおらへんで』

 ・・・・・・・

困ったことに、いや、うれしいことに、
『無名の南画家』には京都という町の紛れもない刻印が
染みとおっている。任意の場所と挿しかえるわけには行かぬ
京都の地理と気候風土と人文が、このロマネスクを支えている。
まがい物などとは、とんでもない。」(p84~85)

うん。最後は加藤一雄氏の、こんなはじまり方の文の
出だしを引用。

「明治維新の混乱を京都画壇はすんなり通りぬけることができました。
東京のほうはそうは行かず・・・・

そこへいきますと京都は平穏無事で、廻り舞台は静かに廻りました。
と言いますのも京都は田舎だったからで、なにも明治元年に公家や
西国侍が大挙して新東京へ行ってしまったので、それで急に田舎に
なったのではありません。もうずっと以前から京は田舎になっています。
二鐘亭半山という江戸の俳諧師が18世紀の終り頃京見物にやってきまして、
その印象記を残しているのですが、京の景色は江戸にくらべて
余程古典的な田舎として描かれています。

『花の都は二百年の昔にて、今は花の田舎なり。
田舎にしては花残れり、きれいなれども、どこやら寂し』。

花爛漫で寂しいとは実にぜいたくな話で、これと言うのも
政治経済の中心から外れていたお陰でありましょう。」
(p204・加藤一雄著「雪月花の近代」京都新聞社)

話しは、ここからが肝心なのですが、引用をつづけすぎました。
ここまでにします。

コメント (2)
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