気になったので、朝ドラ『おかえりモネ』
第四回目の、今日の分を録画しました。
主人公が居候している先の女主人・夏木マリの家。
その家が気になりました。はい。確認できました。
現代風の部屋で、フローリングに食堂のテーブルがあり、
一段あがって正方形の畳が敷かれた部屋となっておりました。
囲炉裏があって、南部鉄瓶がのっています。
録画を停止して、その畳の部屋の壁のようすを確認。
上に大きな神棚があり、すぐしたに横広の大きな掛け軸。
掛け軸に「伊達政宗遺訓」の書が墨痕あざやかに見れます。
その下に、低いはめこみ式の窓になっていて、その向こうが
坪庭にでもなっているようで、雨がふると下を覗き込んでいます。
さて、神棚・掛け軸にむかって、左に陣羽織。右に日本刀が飾られ。
夏木マリはお辞儀して、そこに置かれた笛をおもむろに取りだす場面。
第四回目の今日は、登米能がはじまるのでした。
夏木マリが横笛をふき、能がはじまっております。
謡の年配の方は地元の能保存会の方なのでしょうか。
うん。ここまで確認できました。
さてっと、佐藤憲一著「素顔の伊達政宗」(洋泉社歴史新書)
に「能楽史上に残る能楽好き」とある箇所。
そこから引用。
「和歌、茶の湯と並んで当時の武将たちの代表的な嗜(たしな)み
のひとつが能楽である。豊臣秀吉や徳川家康といった天下人が能楽を愛し、
能役者に扶持(ふち)を与えて保護したことは有名な話である。
伊達政宗も生涯にわたり能楽を愛した。・・・・・
政宗が能楽に親しむようになったのは、
父輝宗の影響が大きい。輝宗が来客の接待に能を催したり、
たびたび勧進能を行っていたこと、家臣たちと囃子(はやし)に
熱中していたことなどが、その天正2年の日記にみえる。
また、天正12年の『正月仕置之事』には『14日(中略)
らんふはしめ(乱舞始)』とあり、米沢に下った役者が
輝宗・政宗の前で謡や乱舞、狂言を演じることが
佳例(かれい)となっていたことがわかる。
こうした家庭環境が政宗の能楽嗜好をつくりあげたといえるだろう。
政宗はみずから太鼓を打つ腕前であった。・・・」(p207~208)
ちなみに、この新書の副題は「『筆まめ』戦国大名の生き様」とあり
「政宗は筆まめな人だった。生涯にわたり、手紙をコミュニケーションの
手段として上手に利用した。そして、大切にした。実にたくさんの
自筆(直筆)の手紙を残している。それらの手紙から自ずと
政宗像が浮かび上がってくる。」(p222)
私に興味をひくのは
「仙台市博物館に『萩(はぎ)に鹿図(しかず)』という
四曲一双の屏風がある。金箔で覆われた画面には、
咲き乱れる萩と薄(すすき)、それに水辺に憩う一組の鹿の
母子が描かれている。・・・・・
画中に動きがあるのは金地の余白全体に添えられた
流麗な和歌や漢詩の散らし書きのせいだろう。・・・・
散らし書きの筆者は伊達政宗。絵は政宗が晩年に棲家とした
若林城(仙台市若林区)の襖絵と伝える。
画家は不明だが、京都から政宗に招かれ。
仙台城の襖絵などに腕をふるった狩野(佐久間)左京か
その周辺の絵師と推測されている。・・・」(p198~199)
はい。朝ドラなのですが、背景のセットを見ながらだと、
時代背景まで振り返れて、ありがたいことに楽しめます。