和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

棚つくり。

2021-07-13 | 道しるべ
はい。本棚作りに飽き。気分転換が終る。
本棚ができ、本をつめこみ。もういいや。

そのあいだ、本は、読んでませんでした。
本棚ができ、各棚の空間を埋める楽しみ。

加藤秀俊著「整理学」(中公新書・1963年)をひらく。
目次に、「『いれもの』の問題」という箇所がある。
うん。あらためてひらく。

「日曜大工たちがいちばんひんぱんにおこなう作業は」
(p113)とある。そこに
「棚というものは、『もの』の立体的整理の第一歩である。」
なになに、
「戸棚、食器棚、飾り棚など、それから下駄箱やタンスなども
棚の変形である。一般に、空間利用の効率の最もいい『いれもの』は、
『棚』を基本形としているといってよい。」(p114)

うん、私はDIYの基本形をこころみておりました。
『立体的整理の第一歩』へ初心に帰りチャレンジ。

コメリにあった、杉KDカフェ板を見かけて
これを使っての本棚へのアプローチでした。
この板は厚さ3㎝×高さ2m×奥行き20㎝。これ一枚が998円。
うん。厚さが3㎝だと、ネジ釘を打つ素人も安心してできる。

棚の幅は、40㎝にして、5枚とれる。
これで、高さ2mの本棚がとりあえず出来る。
あとは、縦板に横板をつぎ足し、継足しして、
本棚を、ヨコへと拡張してゆく、
本棚の、後ろは板を張らずに、
あとは、棚ができたら、壁にL字で固定して完了。
これなら、素人の日曜大工でもなんとか完成。
高さが2mあるので、棚板は6枚だとベスト。
いちばん下は、コンクリート床なので、床から30㎝ほど
スペースをとって棚をとりつけ、下の空きスペースには
お得意の段ボール箱を置けるようにして雑書を容れこむ。

はい。素人のかなしさ。時間ばかりかかりました。
それはそうと、
国立民族学博物館の「梅棹忠夫 知的先覚者の軌跡」(2011年)
をとりだす。写真集のような体裁の一冊で所々文字で飽きない。
そこに、鶴見俊輔の2ページの文。そのはじまりは、

「『屋久島から帰ってきたおもしろい学生がいる。話をきいてみないか』。
と桑原武夫が言った。・・・1949年4月のことだ。
話は、屋久島がどこにあり、どのくらいの大きさの島か、からはじまった。」

こうして、梅棹忠夫氏を紹介してゆくのですが、
今西錦司・柳田国男が、さらりと出てきて、そのあとに

「京都で梅棹の家を訪ねると、庭に工作器具が置いてあって、
五ヵ年計画で、家を改造すると言う。こんな学者にはじめて会った。
家の隅には『暮しの設計』が積み上げられていた。
自宅改造に役にたつと言う。

マルクス主義者は梅棹忠夫の仕事を認めなかったが、
梅棹は、マルクス主義に一定の評価を与えていた。

こういうふうに世界を解釈すると、
こういうふうにまちがうという成果が出たから、それが業績だと言う。」
(p16~17)

はい。このページには、二つの写真。
柳田国男と梅棹忠夫のツーショット(1951年)。
雑誌掲載「アマチュア思想家宣言」(1954年5月号)の最初のページ。

この本、雑誌『別冊太陽』の図録みたいなサイズなので、
本棚に置こうとすると、別の棚にしまいこまれてしまい。
そのうち忘れてしまっておりました。今回の本棚整理で
ふたたび手にとれました。見ていて楽しみなのだけれど、
またまた、すぐに紛失してしまいそうな一冊なのでした。

それはそうと、加藤秀俊著「わが師わが友」(中央公論社)に、
その鶴見俊輔氏との会話が出てきます。

「鶴見さんは、ほとんどわたしと入れかわりに・・移られたから、
いっしょにいた期間はきわめて短かったが、そのあいだに、

わたしに、ぜひいちど梅棹忠夫という人に会いなさい、
と熱心にすすめられた。鶴見さんによると、梅棹さんという人は、

じぶんで金槌やカンナを使って簡単な建具など
さっさとつくってしまう人だ・・・というのであった。」(p80)


はい。わたしはといえば、台風15号の際の家の被害以来、
簡単な大工仕事に目ざめました。その延長の本棚つくり。





コメント (6)
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