和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

整理のきめ手。

2021-07-26 | 本棚並べ
八木秀次監修「尋常小學修身書」(小学館文庫・2002年)に
本居宣長がでてくる箇所があります。まずは、引用。

「本居宣長は、わが国の昔の本を読んで、日本が大そう
りっぱな国であることを人々に知らせた、名高いがくしゃであります。

宣長は、たくさんの本を持っていましたが、
一々本箱に入れて、よくせいとんしておきました。
それで、夜、あかりをつけなくても、思うように、
どの本でも取出すことが出来ました。

宣長は、いつもうちの人に向かって、
『どんな物でも、それをさがす時のことを思ったなら、
しまう時に気をつけなければなりません。
入れる時に、少しのめんどうはあっても、
いる時に、早く出せる方がよろしい。』
といって聞かせました。

宣長が名高いがくしゃになり、りっぱなしごとを
のこしたのには、へいぜい物をよくせいとんしておいたことが、
どれだけやくにたったか知れません。」(p86~87)


はい。梅棹忠夫著「知的生産の技術」の第5章「整理と事務」は、
こうはじまっておりました。

「わたしが小学生のころの教科書にあった話だとおもうが、
本居宣長は、自分の家の書棚から、あかりをつけずに必要な
本をとりだすことができたという。また、どこそこの棚の
右から何番目、といわれていってみると、ちゃんとその本が
あった、というような話もきいた。」(p79)

このことを指摘したあとに、梅棹氏は
「・・しかし、これはじつは記憶力の話ではないので、
宣長の『整理のよさ』をものがったっているだけのことであろう。
整理の方法さえよければ、これくらいのことは、だれだってできる。」
(p79)

さて引用した教科書で宣長が語っていた
『いつもうちの人に向かって』聞かせた言葉。

これを梅棹氏は「知的生産の技術」でこう指摘しておりました。

「おき場所がきまったら、そのおき場所をまもらなければならない。
つまり、とりだしたら、あとはかならず、もとの場所に『もどす』。
これがつぎの原則である。
わかりきったことだが、これを厳格に実行できるかどうかが、
整理がうまくゆくかどうかのきめ手である。・・」(P 82~83)

さて、このあとに梅棹氏はご自分を語ります。

「わたし自身の書類の整理法の歴史をふりかえってみると、
まったくばかげたことをくりかえしてきたものだとおもう。
もちろん、右の諸原則からはずれている。・・・」(p83)






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