和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

おおきな ふくろを。

2021-07-24 | 本棚並べ
 唱歌の「だいこくさま」(石原和三郎)のはじまりは

   おおきな ふくろを、かた に かけ、
     だいこくさま が、きかかる と、

とあります。
現代詩文庫1044「竹中郁詩集」(思潮社)の
うしろには、竹中郁のエッセイも載っていて、
そのなかに、「坂本遼 たんぽぽ詩人」(p123~124)があり、
坂本遼氏の、大きな革カバンが語られているのでした。

「『きりん』に集まってくる小学生の詩と作文は、
詩は私が、作文は坂本君がと手分けして選ぶのだが、
各々が三日くらいかかって選んだ。

坂本君はそのために高価な大きな皮カバンを買って、
五キロくらいの重さの原稿をもち歩いていた。・・・・」

ご自身で書くなら、なかなかご自身の持ち物へと
言及されることはないのでしょうが、身近にいた
竹中さんから見ると、また別の視界がひらけます。

別の視界がひらけるといえば、
藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」(講談社)にでてくる
『大きな唐草模様の風呂敷づつみ』を、以下に引用してみます。
こんなのは、岩波新書の「知的生産の技術」には登場しません。
梅棹忠夫氏の本に登場しない、大きな唐草模様の風呂敷づつみ。
舞台は、梅棹研究室。またの名を、零細企業梅棹商店(p251)。

「先生は右手に黒のアタッシュ・ケース、
左手に大きな唐草模様の風呂敷づつみをさげてはいってこられた。
そして、よっこらしょ、と、荷物を自分の机の横に置くと・・・」
(p33)

「・・梅棹先生も車で、紺色のオースチンだった。
先生は毎日、かばんのほかに大きな風呂敷づつみを乗せてこられる。
この荷物の運搬のためにも、先生には車が必需品だった。

・・・風呂敷づつみが重たそうなときは、
わたしは玄関にむかって走る。右手にスマートな007のかばん、
左手に東京凡太風の風呂敷づつみをもって、こちらにあるいて
こられる先生を玄関にむかえるときは、いつも笑いをこらえる
のに苦労した。
軽いほうのアタッシュ・ケースをわたしが持つ。
部屋まで運びこむと『はい、これがきょうの郵便物』といって、
先生は風呂敷づつみをテーブルの上に置かれる。・・・

郵便物がくると、わたしはやりかけていた仕事をいったんやめて、
郵便物の整理にとりかかる。まんなかのテーブルで風呂敷づつみをほどき、
仕分けする。荷物が大きくなるのは新刊の雑誌や本がどっと届いたときだ。

はじめに本と雑誌、封書とはがきの二つの山にわけてしまう。
さきに本と雑誌のつつみをあける。本は奥付の下に、
雑誌は裏表紙の下のすみに、日付印をおす。

雑誌のはいっていた袋はそのまますてるが、
本の包装紙(袋)は差出人の住所氏名の部分を切りとってからすてる。
残した部分は中身の本にはさんでおく、これはあとでお礼状を送る
ときのために必要だ。
封書とはがきの山はそれぞれにわける。
はがきは日付印をあて名の上におす。
最後は封書。これは少々手がかかる・・・・。」(p123~125)

「先生の事務の手順はほぼ、つぎのようにきまっていた。
一番はじめに手をつけられるのは、寄贈された本や論文集に
お礼状をかくこと。ぱらぱらっとめくって、内容にさっと目を通され、
表紙と裏表紙、奥付などをたしかめてから、礼状用のはがきをかかれる。

すむと、本は自宅持ち帰りの荷物のほうへ、
はがきは既決の箱へ。論文の抜刷やパンフレット類は
研究室のオープン・ファイルに入れてあるので、これらは既決箱にはいる。

雑誌は、目次をながめてから、興味をひかれた記事を走り読み。
読書紙は書評と図書の広告を見る。買いたい本があれば、すぐ
その場で図書注文カードに写される。
・・・新聞は自宅へ。・・・・雑誌類は本棚の一段をつかって
並べてある。新しいのが届くと交換して、古いのは家へ持って帰ってもらう。
・・・・」(p135)

「1970年の前後から、先生は出張が一段とふえ・・
週の後半はほとんど東京行きとなり・・・そして、
月曜日のお昼ごろ、大風呂敷二つの郵便物といっしょに
研究室にはいられるのが、習慣になってしまった。・・・・

出張のあとの月曜日には、アタッシュ・ケースから
先週の出張ファイルをとり出し、わたしに返す。
見出しに『東京いき』とかかれたフォルダーのなかには、
出張カードと関係書類がはさみこまれている。」(p262~263)


「そういい終えると、先生は入口のドアをあけ、
よいしょと、風呂敷づつみを持ち上げた。・・・・」(p267)

はい。まだまだ引用したりない風呂敷つづみです(笑)。

最後は、梅棹忠夫著「知的生産の技術」にもどって
この箇所を引用。

「研究に資料はつきもので、研究者はさまざまな資料
――たいていは紙きれに類するものだが――を
あつかわなければならない。ところが・・・
おおくの研究者は、どうしていいかわからない。
研究室はわけのわからぬ紙きれの山で大混乱ということになる。

そこで、混乱をふせぐために、しばしばとられている方法は、
いわば『きりすて法』とでもいうようなやりかたである。
・・・・・・

こういうやりかたをすれば、資料を整理する必要はすくなくなって、
研究室も混乱しないですむ。そのかわり・・・
視野のせまい、学問的生産力のとぼしい研究者になりやすい。
これは、われわれ・・・しらぬまにおちいりやすいおとしあなで、
・・・これも、整理の技術がしっかりしておれば、
よほどすくえるはずのものである。」(p5~6)


はい。どうも、学問的生産力はよくわからないままですが、
『よっこらしょ』『よいしょ』とくれば、はじまりへもどり、
唱歌『大こくさま』を口ずさみたくなってきます。
といっても、覚えていない。ひらいたのは岩波文庫「日本唱歌集」。
そういえば、この唱歌は四番までありました。

コメント
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