和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

佐伯彰一が語る神道。

2022-01-30 | 本棚並べ
平川祐弘と粕谷一希の対談で、
平川氏が佐伯彰一を語っています。
小林秀雄を取りあげた後でした。

平川】 佐伯彰一先生(1922年生れ)も
小林秀雄に非常に注意を払っているけれども、
佐伯さんは独自の広い世界も持っています。

海軍に行き、日米戦争の体験もある。
神道の家などで神道のこともわかっている。

それから物凄い博識、文章は、ある意味、
饒舌なところもあるけれども、それもそれで
非常な魅力をもっている。

粕谷】 ただ、そういう文章でも、衝撃力、
人に与えるインパクトとしては、やはり
小林秀雄に敵うものはいない。

平川】 ・・・・小林ファンというのは、
とにかくたくさんいました。
  (p147「〈座談〉書物への愛」藤原書店)

はい。ここから佐伯彰一の「日本人を支えるもの」という文を
紹介してゆきます。途中から引用してゆきます。

「・・・神道は、まるで無い無いつくしの宗教なのだ。
明確な教義がなく、精緻な神学がない。
守るべき戒律というのもないにひとしく、
宗教闘争、思想イデオロギー闘争の体験的蓄積もまた欠けている」

そこから、ちょっと飛ばして次のページを引用。

「その代わり、わが家には大きな神棚があって、
祖父と一緒に毎朝必ずたき立ての御飯と水とを供えて拝んだし、
時には祖父の唱える祝詞のおつき合いもした。

そして、毎年の大晦日の夜は、同年輩の子供たちと一緒に
古い神社の社務所に『お籠り』をして、
元旦の朝拝のための準備作業に加わった。

高々とそびえる老杉の並び立つ境内の深夜は、
子供心にも神寂びた森厳さがおのずと伝わってきて、
12月末のしんしんと身に沁み入る寒気とともに、
忘れがたいフィジカルな記憶として、
今でも鮮やかに思い起こすことが出来る。」

うん。全部引用するのは切りがないので、
またしても飛ばしてゆきます。

「この文脈で、どうしてもあげずにいられないのは、
故小林秀雄さんの最後の大著『本居宣長』の冒頭の一節で、
宣長が死の直前に書き残した自身の葬儀にかかわる遺言を、
小林さんは一句一句噛みしめるように辿り、説き明かしてゆかれた。

江戸時代のことで、各人の菩提寺がきっちりと規定されていたのだが、
宣長は、やはり自身のために神道の葬儀を、と綿密に式の次第から
お墓の場所、様式まで指定して、お気に入りの山桜を植えこむことまで
書きこまずにいられなかった。死にまつわる神道的アンビヴァレンスを
いち早く見抜き、把えたのも、じつの所『古事記伝』の著者であったが、
『本居宣長』を書き出すにあたって、まず宣長の墓所をたずねずにいられ
なかった小林さんのお気持ちと、宣長の死生観とがおのずと通じ合い、
ひびき合って、美しい諧音を奏で出すように感ぜられる。

わが国第一の神道文学者、思想家に対するこの上ないオマージュ、
挽歌であり、つまり小林さんにおける神道回心を証し立てる一節
ともぼくは言いたいのである。」

このあとに、佐伯彰一氏の見解がおもむろに、
開陳されてゆきます。

「それにしても、神道には、確たる教義のシステムがなく、
神学も欠けていると言われるだろうか。
キリスト教における『聖書』も、見当らぬではないか―――
いや、宣長が営々として精緻な註解をつみ重ねた『古事記』を
かりに神道の『旧約』として受けとり、認めるとしても、
この地方信仰には、『新約』にあたるものが、全く欠落している。
ついには、素朴、あまりに素朴な
古代人的心性の遺制にすぎないのではないか、と。

この問いに対しては、こう答えたい。
神道において『新約』に類比すべきものは、
じつは日本の文学史、芸能史の傑作群なのである、と。

・・・あまりに恣意的にひびくだろうことは承知の上で、
今はむしろ説明ぬきで、こう言い切りたいのだ。
たとえば、死者に親しむ、鎮魂の心情について、
その基本的な証言は、『万葉集』の挽歌であり、
また能というジャンルのほとんど総体が、集中的に
この目的に奉仕しているではないか。・・・」

はい。これは佐伯彰一著「神道のこころ」の
第一章に載っている言葉でした。

第一章「神道と私」
第二章「神道と日本文学」
第三章「折にふれて」
という、三章からなる本(平成元年)です。

さてっと、いつも飽きっぽく脇道へ逸れる私ですが、
今年は、この本を視界の端にいれて辿ってゆきます。
はい。『棒ほど願えば、針ほどかなう』と口ずさみ。

コメント (4)
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