三年連用日記を注文しようと、ネット検索してたら、
『3年メモ』という商品があり、気楽そうな、そちらを注文。
はい。日記など続いたためしはないのですが、
何せ、すぐに忘れる自分を思うにつけ、
つづけられなければ、つづけられなくてもよしとして、
思いついたが吉日と、注文することに。
津野海太郎著「百歳までの読書術」(本の雑誌社・2015年)に
「もの忘れ日記」と題する箇所がありました。そのなかに、
母親のことがでております。
「一昨年、94歳で死んだ母が、昨年、アルツハイマーを病み、
そうとわかってから、その日にあったことをこまかく
その場でメモするようになった。
年になんどか、それ用の赤い表紙のノートを買って届けていたっけ。
こうした努力のせいもあってか、最後まで、息子の顔を見て
『 あら、あなたはどなた? 』というようなところまで
病状が進行することはなかった。
今年、じぶんの日記をつけはじめて、あれあれ、
おれもあのころの母さんとおなじじゃないか、と思いあたった。・・
それならそれでしかたないけど、そのまえにもういちど、
なんとか忘れずにいる努力ぐらいはしておこう。
そう考えて・・ うまく思いだせない名詞は
地図でも辞書でも名刺でも伝票でも、なんでもつかって
その場で確認し、日記に書きつけておくことにした。
そんな作業を三か月つづけたら、あぶない名詞類も
多少は安定して思いだせるようになった。
ともあれ、めでたいーー。 」(p134)
はい。『 ともあれ、めでたい 』といえるまで、
三か月つづけるのか、何とか三か月ならできそうな気がしてきた。