和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

茶の湯の、銘道に云はく。

2023-11-23 | 前書・後書。
本をひらかないと、書くことがないなあ(笑)。
あらためて、本の前書き後書きをひらきます。

生形貴重著「利休の逸話と徒然草」(河原書店)。
こちらも、なかなか読むきにならなくて、
それでも、徒然草のどの段を引用してるのか。
そういう、視点から興味の持続をはかります。

けれども、読む気がしないときは、
本のまえがきとあとがき。そこだけをめくります。
いい本は、そういう箇所をけっして疎かにしない。
ありがたいのは、最近そういうことに気づくこと。

ということで「利休の逸話と徒然草」の「はじめに」から
「茶道開祖とも位置づけられる村田珠光(しゅこう)」
その人の『心の文(ふみ)』からの引用をながめます。

「 此の道、第一悪き事は、
  心の我慢・我執(がしゅう)なり。

  巧者(こうしゃ)をばそねみ、
  初心の者をば見下す事、
  一段勿体無き事共なり。

  巧者には近づきて、一言をも歎き、又、
  初心の者をばいかにも育つべき事なり。・・・ 」

はい。この単行本で11行ほどの文なのですが、
ここを作者はどう書いていたか。

「 ・・『心の文』は、茶の湯におけるもっともすぐれた
  教育論になっていることを読みとるべきだと思います。 」(p14)

著者は説明をつづけておりました。

「 茶の湯に関わる者がもっとも陥りやすい『心の我慢・我執』、
  つまり、慢心と自由勝手な考えがこの道の大敵である事を
  まず述べています。

  そして・・つまり、巧者を妬んだり、初心者を見下したりすることが、
  もっともいけないこととして戒められ、巧者には教えを請い、
  初心者を育てなさいと述べています。・・・ 」

  
こうはじまって、『心の文』の最後の2行はどうだったか。

「 ただ、我慢、我執が悪き事にて候。
  又は、我慢なくてもならぬ道なり。
  銘道に云はく、
 『 心の師とはなれ、心を師とせざれ 』と、古人も云はれしなり。 」


はい。ここだけを読んで満腹感におそわれます。
全く、前書き後書きだけで私は読了の気分です。
それにしても、こんな本と出会えることの幸せ。
コメント
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