「海の時代」から「安房は牛乳の国」へと視点を移します。
関東大震災の際に、安房郡では牛乳がどうなっていたのか。
「食料品は一般に欠乏してゐたが、傷病者と飢餓に泣く乳児とは、
何とか始末せねばならなかった。
殊に震災の恐怖で急に乳のとまった母が、飢に泣く乳児を抱いて、
共泣きしてゐるさまなど見て・・・
幸い安房は牛乳の國である。
郡長は安房畜牛畜産組合に依囑して、
無償で牛乳の施与に当らしむることとした。
しかし、交通杜絶の場合である。
牛乳の輸送と、殺菌設備には、相当考慮を要するのである。
が、折柄東京菓子会社、極東煉乳会社の好意と、
青年団、軍人分会の盡力とで、9月4日から牛乳を配給した。
そして10月7日まで、34日間之を継続した。
配給区域は、北條、館山、那古、船形と南三原の4町1箇村であった。
――その上区域を拡張することは、事情が許さなかった――
施配した石高は、実に76石1斗3升の多きに上った。
施与延人員は、2万人に達した。此の牛乳は、
全部郡内牛乳業者の寄贈にかかるものである。 」
( p256 「安房震災誌」 )
「安房震災誌」の第6章「産業上の被害」にも、牛乳に関する記述が拾えます。
そちらからも、引用しておきます。
勝山町・・本町に在る東京菓子会社、極東会社、ラクトウ会社、
各工場内の機械は破損し、為めに休業の止むなきに至った。
其の結果、9月1日より20日間位は全町内の牛乳を無料にて
一般町民に分配するの状態であった。・・・ (p141)
被災最中の無料配布に関しては、指揮系統の有無で判断が分かれております。
國府村・・本村主要の副業は、畜牛にして、
生乳の産額は郡内屈指の地でもある。
震災の結果交通機関は全く杜絶し、
煉乳作業又不能に陥り、日々搾取した生乳は、全く販路を失ひ、
徒らに抛棄するの止むなきに至りたること約一ヶ月。・・(p143)
私に思い浮かぶのは、2019年千葉県の台風15号の被害でした。
長期停電が続き、冷蔵庫の品が腐る家庭が続出しているなか、
畜産農家でも、牛乳用クーラーが使えず抛棄しておりました。
北三原村・・産業上の被害は少なからざるも、
特に三原煉乳所に於ては、工場を破損したる為め、
引いて本村の畜産業に一大打撃を来たし、
一時牛乳の処分に苦しんだ。・・・ (p147~148)
さらにまた、牛乳に関する箇所は、
「大正大震災の回顧と其の復興」に記述がみられるので、
次回は、そちらからも引用してみることにします。