① 「編集者 齋藤十一」(冬花社・2006年)
② 竹中郁少年詩集「子ども闘牛士」(理論社・1984年)
③ 「竹中郁詩集」(思潮社・現代詩文庫・1994年)
① せっかく、「編集者 齋藤十一」をひらいたので、
あらためて、パラパラめくりをしてみる。
この本は、追悼文集なので、さまざまな方の文があります。
石井昴氏の文に「次から次に熱い思いを我々若輩にかけられた。」とあります。
どんな言葉の断片だったのか?
『 俺は毎日新しい雑誌の目次を考えているんだ 』(p182)
そういえば、奥さんの齋藤美和さんの談話に
「 何か事件が起きるたびに、
『 こういう切り口だったら読みたくなるね 』
などと、言いつづけていました。 」 (p283)
その美和さんの談話に、写真週刊誌ブームのことが出て来ます。
「 昭和56年(1981)10月23日、日本初の写真週刊誌
『 FOCUS 』が創刊されました。・・・・
そして『FOCUS』は大ヒット。・・・
『 これまでで一番の仕事だったなあ 』と本当に嬉しそうでした。
ただ、それからしばらくして、誌面が齋藤の思っていたのとは
別の方向へずれていったようです。
もちろん雑誌は生き物です。
後発のライバル誌が芸能スキャンダルに力を入れて
部数を伸ばせばそちらもケアしなければならなかったでしょうし・・。
晩年、ちょっとこぼしていましたね。
『 よい素質を持った雑誌だったのに、残念だ。
もうちょっとタッチして、雑誌の方向性を
しっかり根付かせておけばよかった。 』 」(p281~282)
そのあとに、何だろう、こんなことがでてきておりました。
「 ・・やっぱり教育だよ。教育というのは
一度駄目になると元に戻すのに百年かかる。 」(p283)
② 竹中郁少年詩集「子ども闘牛士」の目次をひらいたら、
この詩集にも「三いろの星 組詩のこころみ」が入っていました。
はい。この詩集でも詩「地上の星」を読むことができます。
この詩集の最後には足立巻一の「竹中先生について」があります。
そのはじまりを引用。
「竹中郁(たけなかいく)先生は、1982年3月7日、77歳でなくなられました。
この詩集は、先生が日本の少年少女に贈り遺された、ただ一冊の詩集です。
なくなられる10年ほど前、竹中先生はこの詩集の原稿を作っていられました。
これまでに書いた詩のなかで、特に少年少女に読んでほしい作品ばかり
を選び、むつかしい文字やことばは子どもでもわかるように書きなおし
ていられました。・・・」
③ 現代詩文庫1044「竹中郁詩集」には、竹中氏の短文も掲載されてます。
そこに「坂本遼 たんぽぽの詩人」がありました。そこからも引用。
「 『 きりん 』に集まってくる小学生の詩と作文は、
詩は私(竹中郁)が、作文は坂本君がと手分けして選ぶのだが、
各々が3日くらいかかって選んだ。
坂本君はそのために高価な大きな皮カバンを買って、
5キロくらいの重さの原稿をもち歩いていた。
日本の子供のためなら、死んでもいいという気概をかんじた。
『 きりん 』はいろいろな人の助力で200号を越える長命をした。 」
(p123)