安房に鉄道が開通してゆくのが大正の中頃でした。
大正6年に保田駅と勝山駅開業。
大正7年に那古船形駅開業。
大正8年に安房北条駅(現在の館山駅)開業。
大正10年に南三原駅開業。
歩調を合わせるように、安房の生乳の輸送が盛んになってゆきます。
以下には、「安房酪農百年史」より引用してゆきます。
ここには、大正9年に北条町で開催された千葉県畜牛共進会と、
もう一つ、東京菓子株式会社と極東煉乳株式会社を紹介します。
大正8年に、安房北条駅が開業し、
大正9年に、北条町で千葉県畜牛共進会がありました。
安房郡と君津郡、山武郡から出品されております。
入賞した牛の種類に、所有者氏名と住所が載っていて、
それが安房郡の広範に及んでいるのがわかります。
ここには、入賞者の1等~4等までの町村を並べてみます
(同じ町村で、2回以上登場するのですが、ダブらないように省きました)。
安房郡富浦村・八束村・吉尾村・丸村・曽呂村・平群村・田原村・
岩井村・東条村・七浦村・主基村・稲都村・館野村・勝山町・
保田町・北三原村・那古町・国府村・大山村・瀧田村
( 安房以外では、君津郡豊岡村・環村とが入賞 )。
こうして入賞牛の一覧表で順位が示されたあとに、こうありました。
「・・・優良の成績を獲得したものはすべて優秀な種牡牛の
交配によって生産された乳牛で占めたこと及び管理手入等もよく
行届いていることが記録されてあったことは括目に値する。
更に之の共進会を機会として他府県よりの購買者が相つぎ、
特に農商務省が優秀牛の買上げを行ったことは
酪農振興上裨益するところが多かった。
殊に他府県よりの来観者の多かったことは
酪農安房の名が漸く昂まったことを意味するものである。 」(~p154)
つぎに、2工場会社をとりあげることに。
〇 東京菓子株式会社
大正9年に安房煉乳株式会社が、東京菓子株式会社へと合併され、
東京菓子株式会社は、事業を継承して主力を房州に置きます。
菓子製造原料として勝山工場から毎日冷蔵貨車によって
東京に生乳輸送すると共に、滝田、主基、館山の三工場では
煉乳製造に力を入れておりました。
〇 極東煉乳株式会社
「金鵄印ミルク、金線印バターでその名が売れていた、
三井系極東煉乳株式会社は大正11年南三原村海発に、
乳製品工場を設置して初めて安房に進出、
続いて12年勝山町にも工場を増設した。
南三原の安房工場では煉乳、バターの乳製品を製造、
勝山工場は主として東京への生乳輸送に当る傍らバターを製造した。」
( p178~179 )
ちなみに、生乳輸送専用貨車の写真があり、その下に説明があり、
「牛乳缶の上に氷を入れて冷却して腐敗を防止した」とあります。(p182)
関東大震災が起こるのが大正12年9月1日。
その数年前の「生乳輸送」の活況を最後に引用しておくことに。
「・・大正9年5月安房煉乳株式会社は・・・
勝山駅から東京牛乳小売業組合長飯村某に送乳して
漸く本格的な生乳輸送が始められた。
先づ最初は客車便で送乳したが同年9月16日より
送乳専用貨車で輸送する様になって漸くその量を増し、
その後同社が東京菓子株式会社に合併・・・・・
・・大正9年5月より安房畜産株式会社が勝山工場を設置して
牛乳の貨車輸送を開始したが大正11年12月から
極東煉乳株式会社が其の工場を引受けてこれ又東京への
生乳輸送に専念し1日10数石から需用期に至れば20数石の牛乳を
勝山駅より冷蔵貨車で東京へと送った。
このように・・両社によって日々数十石の生乳が
専用の冷蔵貨車で輸送されたことは他の地方では
見られない状景であった。・・・ 」(~p182)