和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

しかもその上書いて。

2023-02-23 | 詩歌
竹中郁『子どもの言いぶん』(PHP研究所・昭和48年)をひらく。

子どもの詩を、竹中氏が引用し並べております。
ていねいに選び、評を書きこんであるのがミソ。

はじまりの、子どもの詩は、4行。

      がく    五年 篠原美雪

   教室の前
  「仲よく」と書いてあるがくの中に
   みんながうつっている
   エンピツをくわえている人もいる

うん。額の中に、言葉とともにクラス全員の写真が入れてある
というふうに読むこともできるのでしょうが、私は違いました。

はい。教室の黒板の上あたりでしょうか。
『仲よく』と書かれた文字が、額で掲げられてある。
その額のガラスに、光の加減で皆がうつりこんでる。
その中に『 えんぴつをくわえている人もいる 』。

ということでしょうか。この詩をはじめにもってくる。
すると、ひとつの謎解きのような詩にも思えてきます。

その謎を今日これから解いてみたくなります。
額には、言葉があるのだけれど同時に作者は、
その額に写る『みんな』を見ているのでした。

そんなことを、思いながら、私が気になったのは、
竹中郁さんが、この本の4番目に掲げた詩でした。
その詩と、竹中氏の選評とをまずは並べてみます。


       猫    六年 高垣順子

   隣の人は
   皆 ねこがすきだ
   前には白いねこ
   今は黒いねこ   
   前のねこは
   ざぶとんをよけて通った
   今のねこは
   平気でふんで通る


はい。ここに『猫』という六年生の詩があって、
それを竹中郁さんは、額として掲げるように引用しております。
その額ガラスに写し出される時代の姿を竹中氏は語るのでした。


「 この作者は神戸の麻耶校にいた。
  六年生になったばかりのころの作品だが・・・

  ちょうどこのころは、日本が戦争にまけて
  大きな都会ではたべものが手にはいりにくくて、
  どの人もこの人もやせて青い顔をしていた。

  子どもといえども同じで、焼け野原にいそいで建てた
  バラック小屋から学校へ通っていた。
  着るものもまずしく見すぼらしかった。

  この高垣さんもそのなかの一人だったにちがいないが、
  そんな境遇に負けることもなくすくすくと成長をつづけている。

  その精神のすこやかさが読みとれる。高垣さんは、
  世の中の混乱やよごれに染まらないで、こういう
  行儀のよい猫の方に軍配をあげているのだ。
  清潔や秩序というものを尊んでいるのだ。   」  ( p14 )


もうすこし、この額にうつるその頃の時代と、
それを語る大人の語り口とを紹介することに。

はい。井上靖の「『きりん』のこと」から引用。

「 ・・・昭和22年の秋・・・

  編集部は梅田の焼け跡に建てられていた尾崎書房に置いた。・・
  私たちは夕方そこに集まり、詩を選んだり・・・
  付近はまだ焼け野原で、何もかもが乏しい時代であった。

  ・・選が終わると、私は竹中、足立両氏と連れだって、
  尾崎書房を出て、闇市の一画を突っ切って、大阪駅の前まで行き、
  そこで両氏と別れた。

  私は省線電車に乗り、茨木駅で下車して、田圃の中の自分のねぐらに帰った。
  当時家族の者は郷里伊豆の家に疎開したままになっていて、
  私は一人住まいであった。家と言っても、小さな別棟の離れを
  借りているだけのことで、住居の恰好はしていなかったが、
  私はそこで自炊生活をしていた。

  まだ終戦後の混乱期が続いており、世の中にも、
  私自身の生活にも、安定した戦後は始まっていなかった。

  少し大袈裟な言い方をすれば、私はその夜、
  たまたま小学校から送られて来た二人の少女の詩に、

  感心したというより、何もかも初めからやり直さなければ
  ならないといったような思いにさせられていた。・・・・

  その二編の少女の詩の持つ水にでも洗われたような
  埃というものの全くない美しさに参ってしまったのである。

  それぞれ十行ほどの短い詩であったが、
  子供だけの持つ汚れのない抒情が、幼い字で書き記されてあって、
  大人ではこんな風には書けないと思った。
  余分なことは一語も書かれていず・・・・・

 『 いちょう 』を読むと、いちょうの葉の落ちている校庭で、
  滑り台を滑っている小学一年生の少女の姿が眼に浮かんでくる。

  そしてその時の少女の気持が、手にとるようにはっきりと、
  こちらに伝わってくる。

  少女は淋しいと思っているのでも、悲しいと思っているのでもなく、
  うつくしいな、ただそれだけである。そして、いちょうの落ちている
  庭で、いちょうの落ちるのを眺めながら、滑り台を滑っているのである。」

 ( p64~67 井上靖著「わが一期一会」毎日新聞社・1982年 )



つぎに、その詩『 いちょう 』を引用。


        いちょう
  
     きれいな いちょう
     おおきなきに
     ついている
     かぜにふかれて
     おちていく
     うつくしいな
     わたしは それをみて
     すべりっこを
     すべりました

   (  京都府大枝小学校一年  山田いく子  )



この詩『いちょう』を、私は読めるのかどうか?

『 水にでも洗われたような埃というものの全くない 』
透き通ったガラスにうつりこんでしまう、自分の姿と背景。

『 大人ではこんな風には書けないと思った 』
子どもの詩を選ぶ、というのは、こういう視線なのですね。


さいごに、竹中郁『子どもの言いぶん』
の『まえがき』からも引用しておきます。

「  書くという作業は、もちろん他人につたえる
   のが半分以上の目的ではある。

   しかし、子どもの場合は必ずしも、そうとばかりは限らない。
   ひとりのつぶやきのようなものを書くことが、刺激になって、
   心が応じて成長するのだ。

   躰はたべることで成長する。たべて躰を動かすことで成長する。
   精神の方は感じて考えて、しかもその上書いて、成長する。   」



 



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2 コメント

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Unknown (1948219suisen)
2023-02-23 15:11:49
子供の詩は無駄がなく衒いがないのがいいですね。こういう詩を読ませていただくと戦後のまだ国民が貧しく懸命に生きていた自分の子供の頃を思い出します。
返信する
こんにちは。 (和田浦海岸)
2023-02-23 15:17:37
こんにちは。水仙さん。
コメントありがとうございます。

私の子どもの頃は、もう少しあとで、
マンガとテレビと近所の駄菓子屋と、
まずはそんなことが思い浮かびます。
返信する

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