竹中郁『子どもの言いぶん』(PHP研究所・昭和48年)をひらく。
子どもの詩を、竹中氏が引用し並べております。
ていねいに選び、評を書きこんであるのがミソ。
はじまりの、子どもの詩は、4行。
がく 五年 篠原美雪
教室の前
「仲よく」と書いてあるがくの中に
みんながうつっている
エンピツをくわえている人もいる
うん。額の中に、言葉とともにクラス全員の写真が入れてある
というふうに読むこともできるのでしょうが、私は違いました。
はい。教室の黒板の上あたりでしょうか。
『仲よく』と書かれた文字が、額で掲げられてある。
その額のガラスに、光の加減で皆がうつりこんでる。
その中に『 えんぴつをくわえている人もいる 』。
ということでしょうか。この詩をはじめにもってくる。
すると、ひとつの謎解きのような詩にも思えてきます。
その謎を今日これから解いてみたくなります。
額には、言葉があるのだけれど同時に作者は、
その額に写る『みんな』を見ているのでした。
そんなことを、思いながら、私が気になったのは、
竹中郁さんが、この本の4番目に掲げた詩でした。
その詩と、竹中氏の選評とをまずは並べてみます。
猫 六年 高垣順子
隣の人は
皆 ねこがすきだ
前には白いねこ
今は黒いねこ
前のねこは
ざぶとんをよけて通った
今のねこは
平気でふんで通る
はい。ここに『猫』という六年生の詩があって、
それを竹中郁さんは、額として掲げるように引用しております。
その額ガラスに写し出される時代の姿を竹中氏は語るのでした。
「 この作者は神戸の麻耶校にいた。
六年生になったばかりのころの作品だが・・・
ちょうどこのころは、日本が戦争にまけて
大きな都会ではたべものが手にはいりにくくて、
どの人もこの人もやせて青い顔をしていた。
子どもといえども同じで、焼け野原にいそいで建てた
バラック小屋から学校へ通っていた。
着るものもまずしく見すぼらしかった。
この高垣さんもそのなかの一人だったにちがいないが、
そんな境遇に負けることもなくすくすくと成長をつづけている。
その精神のすこやかさが読みとれる。高垣さんは、
世の中の混乱やよごれに染まらないで、こういう
行儀のよい猫の方に軍配をあげているのだ。
清潔や秩序というものを尊んでいるのだ。 」 ( p14 )
もうすこし、この額にうつるその頃の時代と、
それを語る大人の語り口とを紹介することに。
はい。井上靖の「『きりん』のこと」から引用。
「 ・・・昭和22年の秋・・・
編集部は梅田の焼け跡に建てられていた尾崎書房に置いた。・・
私たちは夕方そこに集まり、詩を選んだり・・・
付近はまだ焼け野原で、何もかもが乏しい時代であった。
・・選が終わると、私は竹中、足立両氏と連れだって、
尾崎書房を出て、闇市の一画を突っ切って、大阪駅の前まで行き、
そこで両氏と別れた。
私は省線電車に乗り、茨木駅で下車して、田圃の中の自分のねぐらに帰った。
当時家族の者は郷里伊豆の家に疎開したままになっていて、
私は一人住まいであった。家と言っても、小さな別棟の離れを
借りているだけのことで、住居の恰好はしていなかったが、
私はそこで自炊生活をしていた。
まだ終戦後の混乱期が続いており、世の中にも、
私自身の生活にも、安定した戦後は始まっていなかった。
少し大袈裟な言い方をすれば、私はその夜、
たまたま小学校から送られて来た二人の少女の詩に、
感心したというより、何もかも初めからやり直さなければ
ならないといったような思いにさせられていた。・・・・
その二編の少女の詩の持つ水にでも洗われたような
埃というものの全くない美しさに参ってしまったのである。
それぞれ十行ほどの短い詩であったが、
子供だけの持つ汚れのない抒情が、幼い字で書き記されてあって、
大人ではこんな風には書けないと思った。
余分なことは一語も書かれていず・・・・・
『 いちょう 』を読むと、いちょうの葉の落ちている校庭で、
滑り台を滑っている小学一年生の少女の姿が眼に浮かんでくる。
そしてその時の少女の気持が、手にとるようにはっきりと、
こちらに伝わってくる。
少女は淋しいと思っているのでも、悲しいと思っているのでもなく、
うつくしいな、ただそれだけである。そして、いちょうの落ちている
庭で、いちょうの落ちるのを眺めながら、滑り台を滑っているのである。」
( p64~67 井上靖著「わが一期一会」毎日新聞社・1982年 )
つぎに、その詩『 いちょう 』を引用。
いちょう
きれいな いちょう
おおきなきに
ついている
かぜにふかれて
おちていく
うつくしいな
わたしは それをみて
すべりっこを
すべりました
( 京都府大枝小学校一年 山田いく子 )
この詩『いちょう』を、私は読めるのかどうか?
『 水にでも洗われたような埃というものの全くない 』
透き通ったガラスにうつりこんでしまう、自分の姿と背景。
『 大人ではこんな風には書けないと思った 』
子どもの詩を選ぶ、というのは、こういう視線なのですね。
さいごに、竹中郁『子どもの言いぶん』
の『まえがき』からも引用しておきます。
「 書くという作業は、もちろん他人につたえる
のが半分以上の目的ではある。
しかし、子どもの場合は必ずしも、そうとばかりは限らない。
ひとりのつぶやきのようなものを書くことが、刺激になって、
心が応じて成長するのだ。
躰はたべることで成長する。たべて躰を動かすことで成長する。
精神の方は感じて考えて、しかもその上書いて、成長する。 」
コメントありがとうございます。
私の子どもの頃は、もう少しあとで、
マンガとテレビと近所の駄菓子屋と、
まずはそんなことが思い浮かびます。