和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

日本文明の現在の構成者が

2025-01-31 | 産経新聞
4ページの地元地方紙を購読しています。
その最後のページ下に通夜本葬広告が載り、
記事は読まなくても、そこに目が行きます。

そういえば、今手元にある『サンケイ抄25年』上下(文藝春秋・平成8年)
の下巻の巻末に「主要人名索引」が26ページありました。
人名は、追悼のコラムがほとんどじゃないかと思います。

石井英夫氏の『産経抄』には、司馬遼太郎氏の追悼コラムがありました。
1996年(平成8年)2月14日の産経抄のはじまりは

「 小欄を担当してじつは25年になるが、
  司馬遼太郎氏の死を書くことになろうとは夢にも考えなかった。
  いつまでも叱正をいただけるものとばかり甘えていた。
  いまは丸太ん棒で張り倒された思いがする。・・・・    」

次の日の2月15日産経抄は、司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズの
『台湾紀行』をとりあげてはじまっておりました。
ここには、そのコラムの最後しめくくりから引用。

「 しかし司馬さんが未来に気がかりを感じていたのは、
  実は日本に対してだった。平成7年元日付の本誌で梅棹忠夫氏と対談し、

 『  残念ですが、日本は衰退期に向かっている。
    その証拠に日本文明の現在の構成者が
    少しものを考えなさすぎるように思います   』

  と語っていた。
  12日付の本誌『 風塵抄 』が文字どおりの絶筆となったが、
  産経からスタートした大作家が産経でしめくくられたことに
  因縁めいた何かを感じる。 『・・でなければ日本に明日はない』は、
  そのまま司馬さんの遺言とはなった。              」
       ( 石井英夫著「産経抄この五年」文芸春秋・平成13年 )

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