「梅棹忠夫の京都案内」(角川選書)の
まえがきに、
「京都のひとが京都のことを、
他郷のひとにあまりかたりたがらぬというのは、
そういうことをすればついつい他郷のひとに対して、
心の底にもっている気もちがことばのはしばしにでてしまい。
相手の気もちをさかなですることがあるからだろう。」
とあります。それでは、
さかなでするような箇所を
すこし引用してみましょう(笑)。
祭について
「祭といえば賀茂の祭、5月15日の葵祭・・・
葵祭が王朝貴族の祭とすれば
祇園さんの祭は、近世における町衆の祭である。
・・・・こういう祭にくらべたら、
平安神宮の時代祭なんかは、
上っ調子でみられたものではない。
神田祭や天神の祭も、
その土地のひとには失礼ながら、
ただのいなか祭ではないかというのが、
京都人の正直な感想であろう。」
「東京あたりの神社は、
規模は狭小、チャチでやすっぽい。
お寺ばかりか、お宮もまた関西か、
京都が家元である。
下鴨神社は、そういう雄大で気品のある
社(やしろ)のひとつである。」
(以上p49~50)
うん(笑)。
もう一度「まえがき」から引用しておくと
「この本の内容も、
京都の市民には常識であり、
共感をよぶ部分もおおかろうが、
他郷のひとにはかならずしもこころよく
ひびかぬ部分もあろうかと案じている。
そこは、京都の人間の度しがたい中華思想の
あらわれと、わらってみすごしていただきたい。」
(p4)
はい。この機会に本文から、もう一カ所引用。
それは梅棹忠夫氏が昭和29(1954)年の秋、
同志社女子大学の講演依頼に対して
「わたしはこの際、ひとつの実験を
おこなってみようとおもった。
京ことばで講演をしてみようというのである。
そのつもりで草案をつくった。
その草案がのこっていたので、ここに収録した。」
(p216)
この講演のなかに『訓練のたまもの』
という箇所がありました。
最後にそこからの引用。
「・・・さきほど、フランス語がうつくしいのは、
訓練のせいやともうしましたが、京ことばも、
やはり訓練のたまものやとおもいます。
発声法からはじまって、どういうときには、
どういうもののいいかたをするのか、
挨拶から応対までを、
いちいちやかましくいわれたもんどした。
とくに中京(なかぎょう)・西陣はきびしゅうて、
よそからきたひとは、これでまず往生しやはります。
口をひらけば、いっぺんに、いなかもんやと
バレてしまうわけどっさかい。
そもそも、京ことばは発音がむつかしゅうて、
ちょっとぐらいまねしても、よっぽどしっかりした
訓練をうけへなんだら、でけまへん。
完全な、京都の人間になろおもたら、
三代かかるといわれております。」(p221)
はい。梅棹忠夫といえば、
西陣育ちの四代目。
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