新聞の歌壇を見ると、どうしても詠む方が年配の方々が多いせいか、ご自身のことを語る歌の内容も、自然と過ごしてきた年月のことになりがち。
そんななかに、対象として若い人が歌われているのは、ついつい目をひきます。
毎日歌壇(1月23日)篠弘選の5首目。
三人が座席に開く教科書のページにマーカーの線がひしめく
東京 庄野史子
毎日歌壇(1月30日)伊藤一彦選の最初の歌は
物の怪に取り憑かれたるごと女高生一心不乱に顔つくりをり
愛西市 坂元二男
この伊藤一彦氏の選評は
「公の場での化粧に対する非難の歌はよく見るが、この作は違う。あまりの『一心不乱』さに作者は感嘆したのだ。」
ここで、私は板坂元著「発想の智恵表現の智恵」をオモムロに取り出すのでした(笑)。この本には、発想の発句のような、考えを展開させてくれる発端まで、つれていってくれる楽しみがあるのでした。たとえば、この新書の目次をみると、こんな箇所がある。
p58「目で殺す」(目のメークアップは一首の魔除け。人を威嚇する効果がある)
それでは、そのページの文の前半部分を引用。
「リチャード・クロスによれば、目のメークアップは、見知らぬ人から見つめられるのを避ける作用を持っているという。知らない人同士が目を合わせるのは不快な経験だ。相手の目をのぞき込むのは、相手のプライバシーに割って入ることになるので親しい間柄とか、誰かにきちんと紹介されたのでなければ、社交上はタブーとなっている。
アフリカのバンブーン(ひひ)が敵をにらみつけるとき、瞼をあげると鮮やかな色が露出して相手を威嚇することになる。これと同じように目のメークアップは、一種の魔除けの役を果たすのだという。歌舞伎の隈取りも目を強調して人を威嚇するために用いられているからこの例に当てはまる。
ついでながら、日本でチンピラが『ガン(眼)をつけられた』と怒るのは、プライバシーの自由を損なわれたと感じるからだ。女性のメークアップも、クロス説では『ガンをつけられる』のを防ぐ目的があるという。・・・・」
「物の怪」と「魔除け」。
そうすると、坂元二男さんの一首は、日々プライバシーを守る儀式を「一心不乱」に行っている姿を、目にしてしまったという歌になるのでしょうか(笑)。何でしょうねえ。何事も「一心不乱」な姿は、興味を惹かれるものですし。
たのしみは、歌のおもわぬ切りこみに、目からウロコと味わえるとき。
そんななかに、対象として若い人が歌われているのは、ついつい目をひきます。
毎日歌壇(1月23日)篠弘選の5首目。
三人が座席に開く教科書のページにマーカーの線がひしめく
東京 庄野史子
毎日歌壇(1月30日)伊藤一彦選の最初の歌は
物の怪に取り憑かれたるごと女高生一心不乱に顔つくりをり
愛西市 坂元二男
この伊藤一彦氏の選評は
「公の場での化粧に対する非難の歌はよく見るが、この作は違う。あまりの『一心不乱』さに作者は感嘆したのだ。」
ここで、私は板坂元著「発想の智恵表現の智恵」をオモムロに取り出すのでした(笑)。この本には、発想の発句のような、考えを展開させてくれる発端まで、つれていってくれる楽しみがあるのでした。たとえば、この新書の目次をみると、こんな箇所がある。
p58「目で殺す」(目のメークアップは一首の魔除け。人を威嚇する効果がある)
それでは、そのページの文の前半部分を引用。
「リチャード・クロスによれば、目のメークアップは、見知らぬ人から見つめられるのを避ける作用を持っているという。知らない人同士が目を合わせるのは不快な経験だ。相手の目をのぞき込むのは、相手のプライバシーに割って入ることになるので親しい間柄とか、誰かにきちんと紹介されたのでなければ、社交上はタブーとなっている。
アフリカのバンブーン(ひひ)が敵をにらみつけるとき、瞼をあげると鮮やかな色が露出して相手を威嚇することになる。これと同じように目のメークアップは、一種の魔除けの役を果たすのだという。歌舞伎の隈取りも目を強調して人を威嚇するために用いられているからこの例に当てはまる。
ついでながら、日本でチンピラが『ガン(眼)をつけられた』と怒るのは、プライバシーの自由を損なわれたと感じるからだ。女性のメークアップも、クロス説では『ガンをつけられる』のを防ぐ目的があるという。・・・・」
「物の怪」と「魔除け」。
そうすると、坂元二男さんの一首は、日々プライバシーを守る儀式を「一心不乱」に行っている姿を、目にしてしまったという歌になるのでしょうか(笑)。何でしょうねえ。何事も「一心不乱」な姿は、興味を惹かれるものですし。
たのしみは、歌のおもわぬ切りこみに、目からウロコと味わえるとき。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます