和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

海嘯は最早来ない心配ない。

2024-09-20 | 安房
面白い本を手にしました。
東海大学出版会の「動物その適応戦略と社会」というシリーズの中の、
14巻「災害と人間行動」(1986年)。

そこに、1984年の日本海中部地震に関する考察が載っておりました。
パラパラ読みで、細部は端折りますが、
「海についての災害文化」という箇所に『誤報騒ぎの際』とはじまる
文がありました。

「・・・・・(その誤報騒ぎに)地震当日とは違って
『 海岸地区 』にいた人々はこれに加わらなかった。
地震当日は全員が避難した『 海岸地区 』では、
誤報騒ぎのときに2割足らずの人しか避難しなかった。
こうした対応の違いは、浜辺にいた人がどちらの場合にも海の様子を
自らの対応の決め手として非常に重視していることを示唆している。

地震当日、海の変化を危険だと判断して避難した人は15名中14名にのぼる。
誤報騒ぎの際にも有線あるいは口コミで津波のことを知った後、
71名中46名が海を見て危険はないと判断していた。

浜辺にいた人の対応をみると、彼らは公的な災害情報がなくても
海の様子が危険であれば避難し、公的な災害情報があっても
海の様子が危険でなければ避難していないことがわかる。

すなわち、公的な災害情報よりも
海の変化を観察して得られる体験的情報が
判断の決め手として優先されているのである。

この事実は2つの意味で注目すべきことである。

第1点として、
公的な災害情報はそれが体験的な情報と合致した場合にだけ
効果をもち得るということである。なぜならば、
体験的情報と公的情報が矛盾していた誤報騒ぎの場合には、
公的な災害情報が否定されているからである。

第2点として、海とともに暮らす田野沢の人たちには
海の変化がもつ意味を十分認識し、それを体験的情報とすることができる
『災害文化』をもっていることである。
そのため公的情報を否定し得たといえる。

今回の津波の犠牲者の大部分が、そうした『海についての災害文化』を
もたない人たちであったことを見過してはならないだろう。  」
                           (p166~167)


はい。東日本大震災の大津波の映像を目の当たりにした者としては、
なにをチマチマしたことを言っているのだろうと思われかねないのですが、
ここには、公的情報にも、誤報道はつきものであること。
そういう健全な判断力がためされていると言えそうです。
とっさの、臨機応変の判断力がためされる場合がある。

ということで、最後は安房郡の漁港があった船形町の
関東大震災の記述を引用しておわることに。

船形尋常高等小学校報から、

「正木清一郎翁は当時船形町長の要職に居られまして、
 齢70歳に近きも意気は壮者を凌ぐ程であった。
 
 ・・・大震災に遭ひ・・学校や役場は勿論倒潰し・・・

 責任観念の旺盛なる翁には早くも校門に現はれ、
 児童は職員は大丈夫かと叫ばれ・・

 翁曰く海嘯との叫びがするから
 あなたは(注:忍足清校長?)御影を・・別邸に奉遷しなさい、

 僕が海岸に参って様子を見て来るからとの言葉、
 御老体のこと危険なるべきことを申上ぐると、
 決して心配はない海嘯は沖合に見えてから
 逃れることが出来るものだ。
 僕に心配なく閣下の別邸に避難するがよいとのことにて、
 其の言に従ひました。

 間もなく翁は別邸に来り海嘯は最早来ない心配ない。
 只だ心配なのはあの大火災だ風向きによっては
 町の大部分は焦土と化してしまうと心配されて居られた。 」
         ( p910~912 「大正大震災の回顧と其の復興」上巻 )





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