藤原正彦著「父の旅 私の旅」(新潮社)をひらいたので、
そこに登場する藤原光蔵のページを引用。
はじまりは
「私の曽祖父の藤原光蔵は、故郷の諏訪で・・引退してわずかばかりの
田畑を耕していた。孫にあたる父(新田次郎)の話によると、
この曽祖父は相当に厳格な人だったらしい。・・・・
自らも向学心が強く、70歳を過ぎてから、
大正時代にはまだ珍しかったラジオを製作したり、
英語の勉強を始めたという。
『これからの人間は英語が必要だ』と意気軒昂だったが、
書物による勉強だけでは発音が分からなかったらしく、
田舎中学生となった父(新田次郎)によく質問したという。
その頃を思い出して父は、
『鳥をビルド、本をボークと言うんだからイヤになったよ』
と語ってはいたものの、
その表情からは畏敬の念を見て取るのはやさしかった。
私(藤原正彦)はずっと以前から、学ぶということは、
ある目標に向かって阿修羅のように頑張ることだと思ってきた。
・・・・・・・・・・
しかしそのような勉強は、青年と呼ばれる年齢を過ぎたいま考えると、
学ぶということのほんの一側面だったような気もする。
70歳を越えて始められた、曽祖父のような勉強・・・
年齢や環境により生き方が変わるように、
学び方も変わるのではないか、と思う。
曽祖父の薫陶を受けた父は、67歳で突然にこの世を去るまで、
飽くなき勉強を続けた。・・・・・敬愛した曽祖父のように、
読みかけの書物を放り出したまま死んでいた。・・・・・ 」
( p191~192)
いけませんね。こういう箇所を拾い読みすると、
古本購入へお墨付きをもらったようについ思う。
「読みかけの書物」といえば聞こえがいいけど、
私の場合は、最後まで通読できない書物ばかり。
なんだか凡人の誤読にお墨付きをもらったよう。
でも。まあいいか。
コメントありがとうございます。
脇道へそれてしまいましたが、
思わぬ脇道で声掛けいただき、
keiさんのコメントで安心して、
やっと大村はまへと戻れます。
「戦いだ、戦いだ」
自ら鼓舞しているとはいえ、聞かされる家族には辛いものがあるでしょうね。
でも、新田次郎にとっては本当に「戦い」の日々だったかもですね。
祖祖父と父のエピソードを通して、正彦氏の言われる「学ぶということ」「学び方」の捉え方が心に残りました。
うん、うん!と実感します。
自分が肯定されるようで心地よいです。
コメントありがとうございます。
だいじょうぶ。
こんなコメントを書きこめるくらいなら、まだまだ。
水仙さんは、藤原ていさんほどの寿命じゃないかな。さて、その頃には、もうブログに変わる何かができて
いたりして(笑)。
幸せな亡くなり方ですね。あやかりたいです。
が、最近の私なら「人様のブログを読ませていただきながら死んでいた』となりそうです。