徒然草の第35段。その言葉だけをたよりにさがしていたらなかなか見つからなくって。おかげで、別の短い言葉を、あらためて読むことができました。
たとえば、第192段の短文は、
「神・仏にも、人の詣でぬ日、夜参りたる、よし。」
とありました。うん「人の詣でぬ日」というのがどうやら肝心らしいですね。
今日の産経新聞(2007年12月28日)は、こうはじまっておりました。
「今さら改まっていうことでもないが、小紙は少数派に属しているらしい。・・・」
として、少数派の心意気を開陳しております。うんうん。とうなずきながら読みました。
そういえば、徒然草第184段
「相模守時頼の母は、松下禅尼とぞ申しける。・・・」
とはじまる文が、暮れになっても掃除をしないで、こうして書き込みをしている私には痛く響くのでした。
そうだ、ドナルド・キーン著「明治天皇」も読みたいと思いながら、今年も読まずに終りました。鼎談「同時代を生きて」(岩波書店)のなかで、キーンさんはこう語っておりました。
「明治天皇は新しい宮殿建造を断っています。皇居が火事で焼けたのですが、新しい皇居を造るという話が出るたびに、いつも断っていました。それは、ほかの国の歴史にちょっとないことです。また、明治天皇の立像がどこにもないというのも偉いと思います。」(p180)
その明治天皇を書いたドナルド・キーン氏も偉いなあ。それを読んでいないなんてね。
来年こそは読むぞ。
たとえば、第192段の短文は、
「神・仏にも、人の詣でぬ日、夜参りたる、よし。」
とありました。うん「人の詣でぬ日」というのがどうやら肝心らしいですね。
今日の産経新聞(2007年12月28日)は、こうはじまっておりました。
「今さら改まっていうことでもないが、小紙は少数派に属しているらしい。・・・」
として、少数派の心意気を開陳しております。うんうん。とうなずきながら読みました。
そういえば、徒然草第184段
「相模守時頼の母は、松下禅尼とぞ申しける。・・・」
とはじまる文が、暮れになっても掃除をしないで、こうして書き込みをしている私には痛く響くのでした。
そうだ、ドナルド・キーン著「明治天皇」も読みたいと思いながら、今年も読まずに終りました。鼎談「同時代を生きて」(岩波書店)のなかで、キーンさんはこう語っておりました。
「明治天皇は新しい宮殿建造を断っています。皇居が火事で焼けたのですが、新しい皇居を造るという話が出るたびに、いつも断っていました。それは、ほかの国の歴史にちょっとないことです。また、明治天皇の立像がどこにもないというのも偉いと思います。」(p180)
その明治天皇を書いたドナルド・キーン氏も偉いなあ。それを読んでいないなんてね。
来年こそは読むぞ。
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