和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

長谷川町子。14・15・16歳。

2022-03-09 | 地域
『いじわるばあさん』の四コマから始めます。
座敷にお客さんが座っている。奥さんはお茶の用意か
席をはずしている間、ばあさんが相手をしてる。
座卓にはフタをしたままの丼物とコップとお茶とならぶ。
ちょび髭のお客が座布団にすわって、左端には、ばあさん。
お客のそばの畳には灰皿の吸い殻から煙が。

①食べる前なのでしょうか。お客が背広のポケットから
 薬瓶をとりだして、二錠飲みこむ場面。
 ばあさんが、しまっている瓶を指さしている。

②お客『え?ニセのアリナミンだって!しらずにのんでいた!!』
 婆さん『いいじゃない、あなたもニセ紳士だもの』

③無言で、二人して歯を出して笑っている。
 婆さんのうれしそうな顔が印象的。

④座卓がひっくりかえされ、お客の姿はない。周辺には
 ドンブリや箸、コップ、湯飲み茶碗の破片がちらばる
 灰皿は裏返り、煙草の吸殻が散乱している。
 お盆に急須をもってはいって来た奥さんが
 『どうして また急におこって?』とたずねると
 婆さん『はじめは 笑っていたのョ』と
 雑巾でこぼした水をふいている。

         ( p61「いじわるばあさん」第四巻 )

はい。お客さんということで、思い浮かぶ場面があります。
まず、長谷川町子さんの年譜から

1934年14歳 一家で上京、山脇高等女学校三年に編入。 
      漫画家、田河水泡に弟子入り。
1935年   『狸の画』で漫画家としてのデビュー
1936年16歳 山脇高等女学校卒業と同時に、
      田河水泡の内弟子となる。11カ月後に自宅に戻る。

1936年は、どんな年だったのか?『サザエさんうちあけ話』から

「山脇在学中に二・二六事件があり、高橋是清邸に近かった学校の
 体育館にも雪をけたてて、武装した軍隊が、けい備についていたのを
 覚えています。・・・」 ( 姉妹社p10 )

この年の8月には、ベルリン・オリンピック。前畑秀子が金メダル。

さて、田河水泡氏の内弟子の期間についてです。
ここには、『サザエさんうちあけ話』
長谷川洋子著『サザエさんの東京物語』
小林秀雄著『考えるヒント 1』の3冊を順に引用します。

1冊目からは、この箇所。
「夏は、先生とアイスクリームもつくりました。
 深夜パジャマ姿のねぼけまなこで、小林秀雄先生の前にも立ちました。
  ( 奥さまの兄上でいられますので )
 ゲームをやって、師弟本気でケンカもしました。
 こうして可愛がってくださったにもかかわらず、
 11カ月で、ブーメランのごとく、母のフトコロに、
 まっしぐらに帰ってしまったのです。」 (姉妹社p13)

2冊目は、この箇所。
「水泡先生のお宅は奥様とお手伝いさんの三人暮らしだった。
 奥様のお兄様は、かの有名な小林秀雄先生で、時々、
 水泡先生のお宅を訪ねてこられたとか、
 町子姉の手紙には無口な方とだけあり、似顔絵など描いてあった。

 奥様は劇作家だからお出かけが多く、姉は自分の仕事が済むと、
 お手伝いさんと一緒にお掃除をしたり、食事の仕度をしたりで、
 気兼ねのない生活だったそうだ。

 それでも『帰りたい、帰りたい』という手紙を三日に一度は
 送ってよこした。内弟子生活は、結局一年と続かず11カ月で
 家に戻り、母に甘える日常が始まって満足そうだった。・・・」
                    ( p38~39 )

3冊目。
小林秀雄著「考えるヒント」に、『漫画』と題する文があります。
そのなかに、こんな箇所。

「彼(田河水泡のこと)とは、たまに会ふと、酒を吞み、
 馬鹿話をするのが常だが、或る日、彼は私に、
 真面目な顔をして、かう述懐した。

『 のらくろといふのは、実は、兄貴、
  ありや、みんな俺の事を書いたものだ。 』

 私は、一種の感動を受けて、目が覚める想ひがした。
 彼は、自分の生ひ立ちについて、私に、くはしくは
 語つた事もなし、こちらから聞いた事もなかつたが、
 家庭にめぐまれぬ、苦労の多い、孤独な少年期を過ごした事は、
 知ってゐた。

 言つてみれば、小犬のやうに捨てられて、拾はれて育つた男だ。
 『のらくろ』といふのん気な漫画に、一種の哀愁が流れてゐる事は、
 私は前から感じてゐたが、

 彼の言葉を聞く前には、この感じは形をとる事が出来なかつた。

 まさに、さういふ事であつたであろう。そして、又、恐らく
 『のらくろ』に動かされ、『のらくろ』に親愛の情を抱いた子供達は、
 みなその事を直覚してゐただろう。
 恐らく、迂闊だつたのは私だけである。」

 うん。ここまで引用したので、この文の最後の方も
 つい、引用したくなります。

「漫画家には、愚痴をこぼす事も、威張る事も出来ないから、
 仕方なく笑つたのではあるまい。
 彼の笑ひは、自嘲でも苦笑でもない。

 自分の馬鹿さ加減を眼の前に据ゑて、
 男らしく哄笑し得たのだと思ふ。

 そういふ、人を笑ふ悪意からも、
 人から笑われる警戒心からも解放された、
 飾り気のない肯定的な笑ひを、誰と頒つたらよいか。
 誰が一緒に笑つてくれるだらうか。子供である。

 子供相手の漫画の傑作が、二十世紀になつてから、
 世人の信頼と友情とによつて、大きな成功ををさめたのは、
 決して偶然ではない。

 一般に笑ひの芸術といふものを考へてみても、
 その一番純粋で、力強いものは、日本でも外国でも、
 もはや少数の漫画家の手にしかない、とさへ思はれる。・・・」


はい。最初に引用した『いじわるばあさん』の四コマなのですが、
笑にもいろいろあります。こうして引用すると、自然にわたしは、
『めは にんげんのまなこなり』と、浪平がサザエを叱りながら
その喋った言葉で、浪平とサザエさんの親子二人して大笑いする
『サザエさん』の四コマ(p127「よりぬきサザエさん1」)を、
同時に、思い浮かべておりました。








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2 コメント

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こんにちは(^^♪ (のりピー)
2022-03-09 11:45:35
小林秀雄のこの本は読んだはずですが、「漫画」についての考察は全く初めて読んだ気がします。 というより、この本の中身について覚えていること・・・は何もないのかもしれません。 こうしてあらためて読ませて頂くと小林秀雄の細やかで包容力のある観察眼に脱帽・・・です。

最初の4コマ漫画と、波平のサザエさんを叱る言葉の間違いが呼ぶ親子の大笑いとの連想が・・・ピーマン頭にはムズカシイ・・・
返信する
はしょる。 (和田浦海岸)
2022-03-09 13:04:09
こんにちは。のりピーさん。
コメントありがとうございます。

連想の齟齬を指摘されるので、
端折ってしまった引用を思う。

小林秀雄の『漫画』の文には、
『人を笑ふのだけが笑ひではない。
子供ならみんな知つている。
生きるのが楽しい、絶対的な笑ひもある。』

『現代のやうな、奇怪に複雑な
批評時代が到来すると、一体、
人を嘲笑ふのに漫画家といふ
特別な才が要るのか、と訝しくもなる。

『最後に笑ふものが、一番よく笑ふ』

といふ言葉があるが、
自分こそ最後に笑ふものだ、と誰も彼もが、
笑ひ合つてゐるやうな始末では、
風刺漫画も効き目がなくなつて来るわけである。」

うん。こうして引用しなかった箇所のことを
何となく、思い浮かべながら、これらを
ごちゃごちゃと引用するよりも、ここは、
最初と最後に四コママンガを置いてみました。

柳田国男に『涕泣史談』があり、たかだか泣くのにも歴史的な思い込みがあるのを読んだ記憶があります。
笑にもいろいろな場面場面の笑いがあることに
四コママンガをもってくることで、
ちょっと触れておきたかったような気がします。

はい。素っ気ない私の引用の仕方が悪いのでした。
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