和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

単なる思いつき。

2007-10-29 | Weblog
読売新聞の投書欄の左側に「時代の証言者」という、連載があります。
ちょうど、日経新聞の「私の履歴書」の連載と同じような体裁です。
その2007年9月12日~10月17日までの25回は、梅棹忠夫氏の連載でした。
こういう連載はほとんど読まないのですが、まとめて取り置きしていたので、
その連載を通読できました。ラッキー。

ひとつ、印象に残りましたので、とりあげます。
10月6日の第18回は、「知的生産の技術」(岩波新書)を語っておりました。
ところどころに、《》で時代考証的な解説がはさまっているのでした。
たとえば、その新書については《・・今年7月で77刷発行のロングセラーとなっている》とあります。
では、「知的生産の技術」について語った箇所を引用します。

「桑原(武夫)先生の研究班でもカードを使い、大きなヒントになりました。戦後に内モンゴルから持ち帰ったノート類は、中身をローマ字のタイプで打って何千枚ものカードにした。順番を並べ替えながら考えを組み立て、いくつかの論文を書きました。本に書いたカード方式が大流行しましたが、その前に大事なのは手帳をつける習慣です。ヒントにしたのはメモ魔だったレオナルド・ダ・ヴィンチ。私も山歩きで必ず手帳を持参して記録をつけた。思いつきこそ、オリジナルです。『梅棹が言うてることは単なる思いつきにすぎない』と人に言われたことがありますが、そんなら、なにか思いついてみい、と言いたいです。」

せっかくですから、もうすこし引用をつづけます。

「物理学で『ウィルソンの霧箱』という宇宙線をとらえる装置がある。中を宇宙線が通ると痕跡が残る。頭の中にこの霧箱をおいていないと宇宙線が通っても気づかない。発見を書きとめる手帳やカードが霧箱です。それが私の『知的生産の技術』の原理。自分の思いつきを粗末にせず、大事にしてほしいです。・・・」

『ウィルソンの霧箱』のたとえは、そのままに新書のなかにあります。
いまなら、小柴昌俊氏のニュートリノが思い浮かびます。
ここでは、
「単なる思いつき」を豊富にしていきながら、
「順番を並べ替えながら考えを組み立て」るのだとあるので、
ここから、私が思い浮べた連想は、ドナルド・キーン氏の言葉でした。

「作家を研究するに当って、私は日本の専門家が書いた研究書も、おおいに参考にする。自分の読み足りないことを自覚し、もっと読みたいと思う。・・・先行の研究書の中で私にとって一番役に立つのは、その中に収められている引用文である。・・それが、私にはありがたい。引用文に啓発され、原作に戻って直接に読んでみることは何度もある。そして、場合によっては、日本人の研究者が引き出したのとは異なる結論に達することがある。・・・しかし、直接に彼らの評論を引用することはほとんどないし、研究を読んだために私の意見が変ることは、あまりない。・・」(p137・「日本文学のなかへ」文藝春秋刊)



うん。「思いつきこそ、オリジナル」とは梅棹忠夫氏。
そして「一番役に立つのは、その中に収められている引用文」とはドナルド・キーン氏。
ということで、一見相反するご意見のようなのですが、豊かな深みを感じられるので、
ここに引用文を書き込んでおくわけです。





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