和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

おこがましい。

2021-04-03 | 本棚並べ
斎藤緑雨の『おぼえ帳』は、
こうはじまります。

「紙十枚ばかり綴ぢたるをおぼえ帳とて、
幼きころは誰もしつる事なり。

・・ある時すこし引きちぎり紙縒(こより)の用に立てしが、
ついに鼻拭き紙におわる兆(きざし)なりけり。

似たるものなればわれもここにおぼえ帳と名(なづ)けて、
見聞くがままの浮世をいふも烏滸(をこ)がまし、・・・・

・・ほんのそこらの落葉時雨、窓の下に筆の箒(ほうき)の
ただかきつくるものなり。」(p19)

うん。簡単なのから引用。

「牛は犬は猫はと問ふに、もうと啼く、わんと啼く、
にやあと啼くとまでは尋常(なみ)なりしも、
戯(たはぶ)れに虎はと聞けば、
さかしげなる女の児のしばらく小さき首傾げいたるが、
ややありて、とらあと啼く。」(p37)

「掃花遊(はなをはらってあそぶ)と書ける額の、
解(げ)し難しと一人がいえば、又一人のいう、
勘定を奇麗にしろという事だ。」(p28)

はい。短文のつながり方に、たのしみがあるので、
その部分部分をとりだすと残念な引用になります。
時節柄、こんな箇所を最後に引用。

「花の雲、上野もすでに遅しというほどの事なり。
動物園前の木(こ)の下(もと)に毛氈(もうせん)しきて、
僧四五人、やがて行く春の名残を惜しまんとやおもむろに茶を煮ながら、

あかぬ色香を世に墨染の袖に留めて、
日は暮近きに去らんともせざりしが、
掌に茶碗撫でつつ老たるが空ゆたかに看上ぐる顔に、
もとより淡紅(うすくれない)の今はた褪(さ)めたる雪一つかみ、

やや若きが覗き込みて、散りまするて
とのみあとは復言(またことば)無かりし。
衾(ふすま)を着する春風の歌おもひ出(いだ)されて、
さのみの事ならねどわれは忘れず。」(p20)

はい。最後の「春風の歌おもひ出されて」というのは
どんな歌なのだろう?『解し難し』と私がいえば、
どなたか、教えてくださるだろうか。
うん。『おぼえ帳』に記された「・・われは忘れず」が、
こまごました「おぼえ帳」のなかに浮き上がるのでした。


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