和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

筺底(きょうてい)に秘めて

2024-10-03 | 前書・後書。
芳賀徹の父・芳賀幸四郎に「千利休」と題する本がありました。
以前に買ってあって、読まずにというか、読む気にならずにありました。
そういえばと、その「はしがき」をひらいてみる。
そこに桑田忠親の名前が登場していたのでした。

「・・いざ実際に執筆にかかってみると、
 その困難さは当初の危惧をはるかに超えるものであった。

 桑田忠親氏や唐木順三氏らに、
 それぞれ『 千利休 』と題する名著があり、
 それに利休関係の史料はほとんど発掘しつくされていて、
 従前の研究水準以上に出ることが、不可能とさえ思われた・・

 かえりみてまことに慚愧にたえない。
 このまま筐底(きょうてい)に秘めて、
 さらに数年研究を続け彫琢を加え、
 いささかなりと自信をもって世に送りたいのが、
 いつわらぬ私の真情である。

 しかし書肆の督促と、この小稿を閲読してくれた友人が、
『 現在の段階では、出す意味は十分にある 』といってくれたのを
 跳躍台として、あえてこれの上梓に踏みきることにした。・・・・
                 ( 昭和38年3月1日 )    」

うん。千利休を書いたり語ったりするというのは、
こうして、率直に経過を語りかけられるのがポイントなのかもしれませんね。
うん。私には芳賀幸四郎著「千利休」は読み進められなかったのですが、
今回、ひょんなことで桑田忠親著「千利休」を読んでおります。
といっても、パラパラ読みでまことに情けない。
情けないけれど、まあいいや。このままに読み進めます。

そのうち、唐木順三著「千利休」と芳賀幸四郎著「千利休」も
はずみで、読めるかもしれませんしね。

はい。今回の最後はというと
桑田忠親著「定本 千利休」(角川文庫)の
第六章「秀吉の御茶頭となる」からの引用。

「・・彼は、東山時代このかた重んぜられていた唐物道具に
 対するぎょうさんな礼讃ぶりに背なかを向け、
 唐物(からもの)よりはむしろ井戸茶碗のごとき
 高麗物(こうらいもの)の侘びたのを愛する
 侘び数寄の傾向からさらに一歩を進め、
 国粋的茶器の創造に心をとめていたのである。
 長次郎に焼かせた利休七種茶碗など、
 その代表的なものであった。
 このころすでに唐物中心の数寄大名のお祭騒ぎに対して、
 彼が苦々しく感じたのも道理であろう。  」(p67~68)
コメント
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